学校課題レポート③
概要
今回の課題作品は『アメリカンニューシネマ』
60~70年代あたりにかけて作られた作品たちだ。調べればすぐ出てくるが、主に反体制的な感じのキャラが出てきたりする。共通する特徴として、大抵はバッドエンドである。
わたしはその中から『スケアクロウ』を鑑賞した。私、ああいったお話好きかもしれない。それでは本文へ。
『愛!』
とある大学生から『俺はこの先誰一人として愛せない』という話を聞いた。日本において、愛はLOVEと同意義であるとされているが、LOVEという言葉は、愛よりも深く重い意味を持ち合わせているらしく、言ってしまえば“命に代えてでも大切にする”といった具合だそうだ。その大学生は、命に代えてでも誰かを大切にするなんてことをできる自信が無いと言って、しばらく自虐的になっていた。
今回、私はスケアクロウを選んだ。この作品は、愛に溢れたものだと、そう言えるだろう。勘違いしてほしくないのは、愛には恋以外のかたちもあるのだということ。
愛に溢れているとはどういうことか。最後のマックスの言葉たちが物語っている。最初、血も涙もないから厚木をするんだ、なんて冗談を言って、ムカつけば平気で人を殴っていたマックスであったが、最後の最後、ライオンのために行動を起こしたときに取ったチケットは、商売をしに行こうと計画していたピッツバーグへの往復チケット。愛に溢れすぎていて最早まぶしい。絶対に見捨てたりしないという強い意思と固い絆が伺えるところが最高だ。幼い頃に思い描いていた友情そのものだ。私的最高の終わり方をする映画作品ランキング上位に食い込んでいる。
マックスの、気に食わなければ力を振るうような性格が丸くなっていったのは、力は決してすべての物事を解決できるわけではないということに気づいたから故なのだろう。共に笑いあえる友の存在はかけがえのないもので、愛するに値する。
力は決してすべての物事を解決できるわけではない。反戦的なこの思想は、きっとこの先大切にしていかなければいけないものだ。ひとは分かり合えずとも、互いに歩み寄り、親睦を深め、人となりや考えを知ることができる。そうすることがどれだけ大切で、有意義なことかは、生きていればわかるだろう。いま世界中が抱えている様々な問題も、そうした歩み寄り知る姿勢をどれだけ取れるかで変わってくるのではないだろうか。
あとがき?
今こうして記事にしながら思ったのだが、こういった文章を書く能力が著しく乏しい気がする。自分の考えやらなにやらをまとめることの難しさをこの授業が始まって以来ずっと体験している気がします。