線の向こうにあるもの
ふ・・・う。
久しぶりに色紙に絵を描いている。
実に疲れる作業ではある。
デジタルであれば、描いて消し、消して描きという作業ができるが、アナログではそれが出来ない。
だが、その分味のある線になる。
色紙は以前、ウェディングの似顔絵を描いていた頃に描いたことがある。
実はこのアナログ似顔絵色紙、依頼したまま連絡が取れなくなった人がいる。
慶事である。
大抵の人は多少イラストが気に入らなくとも、お代を払って色紙を買い上げていく。
だが、件の人は違った。
下書き時点でイラストを写真で見せている。
その際は
「すごくいい感じです!このままよろしくお願いします!」
と言っていた。
そして、そのまま音信不通である。
つまり、仕上がったものを見せていない。
その色紙は今でも我が家にある。
デジタルでイラストの仕事を請け負うようになって、キャンセルしてくる人は増えた。
ラフ画を要求しておきながら、消える。
中には彩色まで要求してくる人がいる。
そういう人の中にはイラストを盗んでいく人もいるのだ。
そういう人はおそらく、リアルの人間関係もすぐリセットするのだろう。
そう、リセット症候群だ。
…リセット症候群と呼ぶには少し極端かもしれないが、確かにデジタルの便利さが生み出した新しい問題でもある。
アナログの作品には物理的な存在が伴うから、キャンセルしにくい。
その場で受け渡しが行われ、手に取ってもらうことで、作品が「物」としての価値を増す。
依頼者も絵に対して責任感や愛着が生まれやすく、そう簡単に投げ出したりしない。
一方、デジタルの絵は「ファイル」という無形の存在だ。
削除も転送も簡単にできる。
ラフ画の段階で「ちょっと違うな」と思えば、他のクリエイターに乗り換えることも容易だし、何か不都合があればチャットの履歴さえ削除すればいい。
つまり、作品と向き合う姿勢が、リアルとデジタルでは大きく異なっているのだ。
デジタルで仕事を請け負うようになってから、依頼を投げ出されたり、ラフだけを見て消える人も増えた。
まるで絵を商品というより「サービスの一環」と捉えているような感覚だ。
特にSNSやインスタントメッセージングの普及が進んだ今では、簡単に依頼ができ、また同じように簡単にリセットできる環境が整ってしまった。
それは便利ではあるが、時として無責任さを助長することもある。
こういった状況に疲れることもあるが、それでもアナログに戻るのは難しい。
デジタルには利便性とともに、データとしての柔軟性や修正のしやすさがある。
やり直しが効くからこそ、より洗練された作品が生まれることも事実だ。
自分にとって大切なのは、デジタルでもアナログでも、一つ一つの依頼に「心を込める」こと。
時には心無いキャンセルや、イラストを盗まれることがあっても、それに惑わされずに、自分のスタイルや誠意を貫きたいと思う。
次に描く線がどんな未来を描くのか――それを信じて、今日もペンを取るのだ。