窃盗犯
お恥ずかしい話ですが、中学校の頃は窃盗をしていました。
いわゆる万引ですね。
以前投稿したことがあるように、私の月のお小遣いは小学校は6年生辺りまで100円、中学校では500円でした。
学校で使う文具もあまりまともに買えませんでした。
中学1年生の頃はテニス部に所属していて、足りない文具は友達から恵んでもらったりしていました。
ところが、中学2年生になり、美術部に入った時に、集団窃盗をはたらくようになってしまいました。
最初の犯行は、懇意にしていたCDショップでした。
誰が言い出したのかは覚えていません。でも多分、前投稿で述べたリーダー格の女の子が中心になっていたと思います。
当時はそんなに監視カメラがあるところも少なくて、一人が店員に話しかけ、数人でCDを見てるふりして囲んでバッグに入れる、という手法を使っていました。
CDで味をしめた私達は、文具、服、美容品を手を広げていきました。
調達した品物は美術室の、誰も見ないような棚に直しこみ、共有して使っていました。
漫画を描く道具や漫画なども万引しました。
悪い事の認識よりも、私は文具に困らない、漫画が読める(実家では漫画が微妙に禁止されていた)描ける、そんな裕福な環境の方に目がいってしまっていました。
ある日。
街中の文具屋にその窃盗団のみんなで行くことになりました。
その文具屋は監視カメラが設置されていて、その日はみんな窃盗するつもりもなく、思い思いに買い物を楽しんでいました。
お金のない私は、魔が差したというか。
その監視カメラにチャレンジしたくなりました。
文具が欲しかったのも少しあったかもしれません。
でも、私はトライしたかった。
お目当ては製図用の少し値のはるシャープペンシル一本でした。
私は監視カメラの死角にはいるべく、場所を選んでバッグにそれを落とし込みました。
でも、店員は、Gメンは気づいていました。
私が監視カメラの位置などをなんとなく確認しているのを見つけたGメンは、カメラではなく、私を直接観察に来ていました。
私は捕まりました。
事務室で、私は泣きながら「父を呼んでください。母は呼ばないで」と泣きました。
でも、これは本当の涙ではありませんでした。
叙情酌量の余地が出来るかなと、中学生ながらに思ったのです。
結果、両親共に呼ばれ、父は「この子は父を呼んでくださいと名指しした。父親が甘やかしているのではないか」と説教を受けました。
帰りの車内ではほとんど喋りませんでした。
でも、父はあとから「誰にでもあることだから」と言ってくれました。
母は色々考えすぎたみたいです。
余罪があることは、家族は知りませんでした。
私の涙が本物ではなかったことも。
この事件のあと、私はパパ活を始めました。
生きるために。