見出し画像

「綺麗じゃない」が私を惹きつける理由

私が好きなのは、整った美しさやキラキラと輝く毎日だけではない。

確かに、インスタグラムに映えるような華やかな生活や完璧に演出された瞬間は、目にして心が躍る。

でも、そんな「綺麗さ」だけでは、私の心の奥底を満たしてくれるものにはならない。

むしろ、混沌としていて、予測できない人間の感情や出来事の中にこそ、私は強く惹かれる。


例えば、映画や小説の中で完璧なヒーローやヒロインの姿よりも、欠点だらけで葛藤し、間違いを繰り返しながらも必死に生きる登場人物の方に心を奪われる。

誰かを裏切ったり、傷つけたり、それでもなお愛されたり赦されたりするような物語には、なぜか胸を締め付けられるような感覚がある。

彼らの中に自分自身を見つけることができるからかもしれない。

「綺麗じゃない」からこそ、そこに生々しいリアルがあり、そのリアルが私を引き寄せる。


現実でも同じだ。

キラキラ輝く生活を送る友人の話を聞くのは楽しいし、時には羨ましいとも感じる。

でも、心の底から共感するのは、悩みや弱さを見せてくれる瞬間だ。

落ち込んで泣いている姿や、怒りに駆られて声を荒げる姿、それは確かに「綺麗」ではないかもしれない。

でも、それこそがその人の本当の姿であり、私はその生々しさが好きなのだ。


「綺麗じゃないもの」は、一見するとネガティブなもののように思えるかもしれない。

泣く、怒る、迷う、失敗する、そうした姿を他人に見せることを躊躇する人も多いだろう。

社会的には、それらは弱さや不完全さと見なされることが多い。

でも私は、そういった弱さや不完全さこそが、その人を最も人間らしく魅力的に見せると思っている。

なぜなら、それこそが誰もが持つ共通の経験だからだ。


また、「綺麗じゃない」ものの中には、意外な美しさが潜んでいることがある。

例えば、古びた建物や廃墟のような場所。

壊れかけた壁や苔むした石には、年月を経たからこその味わい深さがある。

完璧に整備された新築の建物にはない、何か言葉では表現しきれない重みや魅力を感じるのだ。

人間の感情も同じだ。怒りや悲しみ、不安といったネガティブな感情も、時にはその人の奥深さや魅力を引き出す要素になり得る。


私たちはしばしば、完璧さや成功だけを目指し、そこに美を見出そうとする。

でも、それだけでは見えない景色があることを忘れてはいけない。

泥まみれになりながらも進む人、失敗を重ねながらも何かを掴もうとする人の姿には、計り知れない力強さがある。

そしてその力強さこそが、本当の美しさだと私は思う。


だから私は、これからも「綺麗じゃないもの」を大切にしていきたいと思う。

感情が渦を巻き、傷つきながらも生きていく人間の姿や、不完全で未完成なものたち。

その中に潜む美しさを見つけ出すことが、私の生き方であり、楽しみでもある。


人生は決して完璧ではないけれど、それがまたいいのだ。

いいなと思ったら応援しよう!

ちびひめ
よろしければサポートをお願いします。 生きるための糧とします。 世帯年収が200万以下の生活をしています。 サポートしてもらったらコーラ買います!!コーラ好きなんです!! あと、お肉も買います。 生きていく・・・