【幼少期④】実は「好かれること」に薄情なわたし【HSPエピ?】
幼稚園のとき、私になついてくれた女の子がいた。
私が年長さんでその子は年少さんくらい。
すくなくとも帰りのバスが一緒だったのは覚えているが、
そのほかの接点は不確かだ。
年下で可愛かったし、
幼心ながら「なんでそんなにわたしを慕ってくれるのか」と
不思議に思うくらいその子はわたしを好いてくれていた。
人の好意を残酷に返してしまう不器用さ
なぜこのエピソードを投稿したかったかと言うと、
小さい頃から人の好意を「残酷」に返してしまうことが多い気がするからだ。
当時のわたしはある日、
その子のことが急にめんどくさくなってしまった。
その子も察したのかわたしになつくことはなくなり、
気づいたら疎遠になっていたのだ。
わたし自身その子に「めんどくさい!」と
はっきり伝えてしまったわけではない気がする。
だからなぜ疎遠になったかは分からない。
ただその子が離れていったときに、
「ひどいことをした」「あの子は大丈夫かな」と心配になる気持ちと、
「だってめんどくさかったんだもん」と自分を守りたくなる強い気持ちが共存していたのは覚えている。
受け止めきれない好意に対して「キャパオーバーだ」という思いは唐突にあふれ出し、
不器用な距離の置き方で相手を傷つけてしまったかもしれない第一の記憶となったのだ。
「ひどいことをした」という罪悪感
それ以降、幼稚園を卒園しても住んでいる場所は近かったのか、
地元の公園でたまーにその子らしい子を見かけることがあった。
その子が自転車に乗って男の子と元気に遊んでいる姿は
当時は思わず目で追ってしまうくらい気になったし、
いまでもなんとなく思い出せる。
そのときは再会できて嬉しいような気持ちと、あのとき突然距離を置いてしまったことに対する罪悪感を覚えていた。
「向こうはわたしのことを覚えているかな」「元気に過ごしているかな」とも気になり、
よくわからない複雑な感情を抱いたのは間違いない。
くわえてそんな複雑な感情を抱くきっかけを作った過去の自分に嫌気がさしていたのだ。
幼い頃からなぜか人に好かれやすかった
思えばわたしはよく分からないうちに「熱量をもって」人に好かれていることが多かった、ということも伝えたい。
男性からは総じてモテなかったし苦手意識もあったので、
好いてくれるのはたいてい同性の子からということも。
不器用でチベットスナギツネみたいに無愛想なわたしを
フォローしようと仲良くなってくれたのかもしれないし、
わたしはよくある女の子らしい性格ではなく、
ところどころで「男だったらモテるのになぁ」「たぶん男性ホルモン多めだな」と思うような性格だから、
そういう部分に親しみや面白さを感じてくれた人もいるのかもしれない。
とにかく自分では訳もわからず、
「異様に人から好いてもらえること」がちょいちょいあった。
これは自慢したいとかではなく戸惑いを感じることが多いから、
わたしにとって「生きづらさ」が関係している部分であることは間違いない。
好かれやすい自分vsドライな自分
結局このエピソードで何が伝えたいのかというと、
なんというか予想外に人に好かれてしまったとき
自分のドライな部分に戸惑うことが多い人生なのだと言いたい。
そして予想外に好かれた場合でなくても、
唐突に人間関係を終わらせたいと思うことが多い人生でもあると言いたい。
わたしのなかでは人を大事にしたい気持ちと
距離を置きたい気持ちが常に戦っていて、
もともとキャパシティーも広くないので、
対人関係があまりにも不器用になり年々つらくなってきている気がする。
きっと、これからも戦い学んでいく部分なのだろう。
・・・余談だがあんなに純度100%で慕ってもらえたのは、
幼稚園のときが最初で最後だったかもしれない。
もしまたその子を見かけることがあれば、
「元気ですか?」と話しかけたい気持ちもあるのだが、
素直にそれをしないのがわたし。
いまだに対人関係についてはどうすればいいか分からないことが多いけれど、
あまり焦らず自分らしくやっていこうと思います。
最後まで読んでくれてありがとうございました。
誤解されてしまうかもしれませんが、noteのフォローやスキ、とても嬉しいです。
以後同じようなエピソードが出てくると思うので、よかったら読んでみてください。