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『嫉妬』に想いを馳せる1週間


今週は月曜日からLINEサロンで『嫉妬』のエネルギーについて色々考察したせいか、ふと気づくと『嫉妬』について考える時間を過ごしました。

テーマは『妬み嫉みののエネルギーをどう対処するか』みたいなことだったので『嫉妬される側』の立場で展開したけれど、別のメンバーさんから『嫉妬する側』の視点について言及があり、ちょっと自分にはあまりない感覚だったので、とても新鮮でした。

ディベート好きなので「どっちの視点からもみる感覚」を忘れたくないといつも思っているのに。いやぁ、片目だけで見ちゃってたな。反省、反省。

そして、この感覚は、よろしくないなーと思ってなぜ片目になっちゃってたかなと振り返ると、私の中で『人と比べることの無意味さ』というのがとてつもなく大きくなっていて、そちらに持ってかれてたなと思い当たりました。よ。

『妬み嫉み』は『他人の芝生は青く見える』っていうのがベースにあると思うのですが。ならば『本当にその芝生は青いのか?』と尋ねる視点があればいい気がしていて。

だってですよ?

自分と他人を比べて妬み嫉みを感じてしまう場合、冷静に自分と相手を比較してみると、魂が入る器=肉体が全く違うし、育ってきた環境も違うし、地域による価値観も違うし、世代間でも感じ方は違うし、同世代であっても個性色々だし。

【結論】そもそも比べるの無理じゃない?

…って。
そしてこれ↑がミクロの視点だとすると。

今度はグググーーーーっとカメラを引いてマクロの視点で眺めてみると、この地球上にいる人類は宇宙からみたらどれも等しい存在で大差はない。

昔、レバナのスクールのお友達が

「宇宙の知的生命体からみたら、私たち人類は、私たちが蟻を眺めるようなものなのかもね。“この生き物、実に生態が興味深い”とか言われて、観察対象かもねぇ〜笑。私たちが“この蟻はイケメン‼ こっちは残念︎”とかなかなか思えないし思わないように、全然違う角度から見たらたいして私たちに差異はなくて、結局どの個体も同じなのかもね」

…なんて話していたけれど。さもありなん、という。そしてこの感覚を持っておくと、必要以上に刺激を受けることもなくなって。

あげくの果てには「地球の歴史からみたら、蟻んこのような私たちがこの場で過ごす時間なんてほんの一瞬。儚いもんだよね」としみじみしちゃって。

「だったらせめて、楽しく光のもとで生きたいね〜」

…って結論に至ってから、あまり妬み嫉みに反応しなくなっていたんだなぁと思い出しました。

だから片目になってたんだな。

ただ、私は『嫉妬する自分』はあまりネガティブに捉えてなくて『伸び代』だと思ってます。

他人にそんな感情を向けられるのは、エネルギッシュだなーとさえ思ってます。使い方によっては、みずみずしいエネルギーなので。悪くないです。使えます。

ただ嫉妬をぶつけられる方は不快だし悲しいだろうから嫌だろうな、というのもわかる。そして、相手に嫉妬する自分だって、実はプラスになることなんてさしてなく、多かれ少なかれ削られるので。不経済。

ならば、そのエネルギーは自分のために使う方が、嫉妬する自分とされる相手、お互いにとって有益じゃん!とわたしの中では結論が出ています。

他人に注いだら不快なものだけど、自分で味わうことができれば美味しい美酒になるかもしれない。そんなエネルギッシュなパワー、他人に与えてしまうのはもったいない。

なので。私の場合、もし1ミリでも嫉妬のエネルギーが出てきたら「お!ラッキー‼︎ 」っと思って、そのエネルギーをまるごと自分の成長に注ぎます。少量でも効果はあるので、望む現実の実現が加速します。

だからね。
嫉妬する自分を責めず腐らず、そのエネルギーを活かす選択肢を与えてあげてほしいなと思います。

そのためには、霊性を高めるっていうのはなかなか悪くない選択肢なのではないかと思うんですけど。←結局これか。

ふふふ。いかがですかね?

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