「疑うこと」は「信じること」
「自分を信じる」ということについて、繰り返し繰り返し考えてます。
「信じる」ことを考えるのは「信じられなくなる」からで、「(本当に信じていいの?と)疑う」わけで。
だから色々な角度から考える。それを繰り返しているともはや「信じる」ために「疑う」のだと思えてきた。そして、その「疑い」を乗り越えると、また1つ「信じる」ことができるようになる。この繰り返し。
となると。「疑うこと」は「信じること」。
「疑うこと」があればこそ「信じること」が盤石なものとなる。
だから「(ただ)信じる」なんてことは、見方を変えれば「信じる」ことに盲目で、何も乗り越えないから、弱い。脆い。…のかも。
理解できないものはコントロールできない。
それがヒト。
だから疑っていい。信じられなくなってもいい。
それで「信じること」が深まるのなら。
そんなことを最近は考えてます。
メリークリスマス。