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よりよく生きるには?という問い。


昨日、ふと観たテレビで養老孟司さんが講演に出かけた先で子どもたちに

「“よりよく生きる”にはどうすればいいか?」

…と質問をされたという話をしながら苦笑いしていた。養老さんは何と答えたのかなぁと興味津々で、言葉の続きを待ったけど明快な答えなどなく。「人生100年時代という今、一言では言えない」と話されていて。

「ですよね〜〜〜」となった。

そして「子どもとはいえ簡単にその答えがわかると思っている、あるいはその答えがあると思っているのはどうなのか」的なことを話されていて、なんだかとても共感した。

かつての私もハイヤーセルフと繋がったり、対話ができるようになれば、そうした問いに単刀直入な解答をもらえると思っていた。けれど、瞑想すればするほど、繋がれば繋がるほど、そんな問いに対する明快な解答などくれることはないことがわかった。

ならば高次の存在と繋がる意味なんてないかというとそうではなくて

答えは自分で手に入れる

…ことを学ばせてもらえた。

己で考え行動することが「生きる」ということ。とはいえ“考える”といっても質があって、しなやかに広い視野で捉えながら、まとめていく=“考える”なのかなと最近は強く感じていて。

ほんとに、そういった問いについては簡単に答えなんて出せないと思っていたので、養老さんの言葉が嬉しかった。

ただ、そういう質問を“答え”があると思って質問できるのは子どもの特権だと思う。なので、大いに質問していいと思う。知の巨人とも言われる養老さんに質問できるチャンスがあるのは幸運なことで羨ましい。

そして。そんな問いをほかの大人にもどんどん質問して、その質問に戸惑う大人を信用してほしい。逆にスラスラ答えるような大人は、一見頼もしいし、便利だけど、距離をとるように育ってほしい。…とも思う。

なんにせよ。大人って、子どもたちのまっすぐな目に試されるなぁ。…そんなことも思った。


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