見出し画像

『楽しむ』ためにできること。

スピリチュアルを意識していると『楽しむ』というキーワードがよく出てきます。

「あなたが1番楽しいと思うことをやって」
「どちらか悩んだら、自分が楽しいと思う方を選ぶ」

…というように、何かにつけて「楽しい」という感覚にフォーカスさせようとしてくる。むしろ「苦しくても歯を食いしばって頑張りなさい」という話はあまり聞かない。

昔、私が産まれて初めてスピリチュアルセッションを受けたときも「楽しいと思えることをやりなさい」というメッセージをもらいました。

そのメッセージをきいて、当時(30歳くらい?)の私は泣きました。

改めて「楽しいこと」を考えたとき、それまで仕事人間だった私には思いつくことなど、1つもなくて。まさか自分が「楽しいこと」を思いつかなくなるような大人になっているなんて思いもしてなくて、びっくりして泣きました。←子どもかっ笑

その当時「楽しいこと」と言われても、ただ自分が「楽しい」ということでなく、何か“(成功するための)正解”があるのだと思っていたような気もします。だからますますそんな正解な「楽しいこと」なんて想像もつかなかった。

「楽しいこと」がわからなくなっている自分が、つまらない大人になっちゃったなぁと感じて情けなくもなりました。子どもの頃に描いた大人の自分は、もっと自信たっぷりに楽しそうに生きているはずだったのに。まぁ、これはこれで子どもの勝手なフワッとした妄想でしかないのですが笑。

そんなショックを経て、自分と向き合い、自分のエネルギーを調えていくうちに「楽しいこと」が、子どもの頃のように湧き出てくるようになりました。

なぜ湧き出てくるようになったのか?それは「楽しいこと」は特別なことでも高尚なことでもなく、本当にただ「自分が楽しければいいだけ」と、自分に許可を下ろせるようになったからだと思います。

子どもの頃は、当たり前にそれがわかっていたのに、大人になるにつれて不要な「制限」を自分でかけてしまい、私は「楽しいこと」がわからなくなっていたのでした。

子どもの頃のように自由に「楽しいこと」を意識していくと、私は子どもの頃から常に「楽しいこと」を見つけていくことにとてもアンテナを張っていたことを思い出しました。

帰り道で見つけた蓮花の花畑が拡がる秘密の場所や家の近所の田んぼの脇に湧く小さな小さな泉の水で遊ぶこと、話したことのない友達と話してみること、知らない街の本屋に連れて行ってもらうこと…etc.etc…。子どもの頃の私が「楽しい」と思うことは、ぼーっとして手に入れるものではなく、可能性を拓くことが何より楽しかったので、そのために必要なものをいつも探していたのでした。
努力家…笑。

スルスルとそういうことを思い出していくと、大人になった私でも「楽しいこと」を見つけられるようになりました。大人なので、タモリ倶楽部からヒントを得て「一品会」なるイベントを友人家族と開催して、簡単美味しいお料理の腕を競ったり、秋刀魚を1番美味しく食べるシチュエーションを調えて堪能したり…(あれ?食べることばかりだわ笑)。大人だからこそできることも増えて、より楽しくなりました。

で。色々やって思ったのは「楽しいこと」のために何より大事なのは「全力で楽しむ!」という姿勢。適当にやると楽しいことも楽しくなくなることも学びました。

最近はイヤな事件や嘘つきな大人が目について、どんよりすることもありますが、気持ちのよい秋風に吹かれながら「楽しいこと」をどんどん全力で楽しみたいと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?