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「アミダサマ」〜大好きな人の魂の移行に想うこと〜


昨日のnote.で触れた「アミダサマ」という小説は、いつも私が考えている死生観に伴う問題を見事に“物語”として形にしてくれていて、救われた想いがした。

その問題とは「大好きな人に死んで欲しくない問題」。

もう半世紀生きてきているので、大好きな人が亡くなる経験をしているし、最愛の人を失った人にも出会っている。そうした経験をするたびに「死」がもたらすものと対峙してきた。時に「恐怖」であり、時に「悲しみ」「痛み」の渦中に放り込まれながら「死」について考えてきた。そして気づくといつも頭の片隅に「死」を意識している自分がいるようになった。それは恐怖でも悲しみでも痛みでもなく、息をするのと同じようなものとして。なので、私にとって「死」は遠いものではない。

そんな形で「死」が私の中にポジションをとるまでは、かなり大変だった。苦しかった。「死」は、恐れ忌み嫌うものでしかなかった。私は大切な人を、大好きな人を失いたくなかった。その人がいない世界を想像することなんて気絶しそうなほど嫌だったし、そんな大好きな人がこの世を去った後、自分がその人のいなくなった世界にどうやって折り合いをつけたらいいのかわからなかった。もう「死」は「恐怖」でしかなかった。それが20代くらい。

私の大切な人は、身体は強くなかったので何度か倒れて、私はその時はまだスピリチュアルなことなど何も知らなかったけれど、その度に快復することをただひたすら祈っていた。すると不思議なくらい、医者も驚く快復を遂げる。そんなことを何度か繰り返し、緩やかに歳を重ね、穏やかに老いていった。一方、私は30代となりスピリチュアルを学び始める。

私が30代になると小康状態を維持しながらゆっくり時間が過ぎていく。学んだばかりの私のヒーリングも楽しそうに喜んで練習台になってくれたと思ったら、私がいない時は私の真似をして我流のセルフヒーリングをしたりもしていた。可愛い人だった。

私が40代になり、私の大好きな人は入退院を繰り返すようになると、私の中で緊張感が高まった。20代の頃に感じていた「死」に対する恐怖は、スピリチュアルを学ぶ中でだいぶクリアにできるようになっていたが、やはり自分が1番大好きな人がこの世を去るかもしれないと思うと大きく揺れた。

それでも、容体を崩す度に医師から何度も「厳しい状況」だと告げられても、私がヒーリングを行うと不思議と小康状態に戻り、リハビリもできるようになったりする奇跡をたくさん見せてくれた。

でも、とうとう意識が戻らない状態になる時がやってきた。私はまだ別れたくなかった。別れる心の準備は当然できていなかった。あらゆる見えない存在たちを召喚し、その人の状態を観察しながらヒーリングを続けた。すると、医師から「こんな数値になっているのに、意識もあるし、コミュニケーションもできる人は経験がない。ちょっと意味がわからない」と言われるほどの状態がしばらく続いた。

もちろんヒーリングは毎日行った。
でも。

意識が混濁することが日に日に増え、それでも当初はその人の中に「生きたい」という意思があったのに、日が経つにつれて少しずつその意思が小さくなっていくのがわかった。私たちのいる世界から、いない世界への移行がその人の中で静かに始まっていた。

私はずっとその変化を傍で観察する中で、私のヒーリングが移行の邪魔になっていることを感じた。「もうヒーリングをやめてあげないと、この人はいつまでも頑張ってしまう」。でも、その日のヒーリングもやめることはできなかった。病院から家に帰ると、私は自宅の段差も何もないところでなぜか転けて足を骨折をしてしまい、以来、病院に見舞いに行ってヒーリングをすることができなくなった。

私はこれが全ての答えだと思った。私はヒーリングをやめた。

そして、私が病院に行けなくなってから1週間ほどが経ち、その人はこの世から旅立った。桜の花が散り終わる季節だった。

「その人」とは、私の父。

私は父の死を経験して以来「こんな風に人は、大好きな人の死について混乱するし、干渉してしまう。そういうチカラが多かれ少なかれ誰にでもある」のだと強く思うようになった。そして、混乱は自分だけで完結できる問題だけど、干渉してしまうのは相手を縛るよくないことだと考えるようになった。

その数年後、占星学も学ぶことになった私は「人の死」について星がどのように表れるのかなどを知識として得る中で、本来は「吉星=ラッキースター」である木星も人の死に関わることがあり、その時の“木星”の意味は「死=解放」になることを知り、20代の頃から強烈に感じていた「死」に伴う「恐怖」といった感情をようやく完全に手放すことができるようになった。

楽になれた。ほんと、占星学を学んでよかった。

でも、そんな話は誰ともすることがなく。それからまた数年の時が経ち「とはいえ、やはり私の感覚は大丈夫なのかな?」とちょっと不安に思う時もある中で。今年の夏に読んだ「アミダサマ」は、まさにこの辺りの問題が物語としてキチッと描かれていて、同じようなことを考えて、こうやって小説に昇華した人がいることを知ってホッとした。

「死」は悲しみだけではなくて、解放なのだと。この世のあらゆる縛りから自由になれる最後の祝福なのだと。そんな選択肢があることは救いだと。そして、その救いがあるからこそ、生きることも輝き、生きているだけで価値があることになるのだ、と。

この小説から私はこんな気づきを得ることができた。
なので。
機会があれば「ぜひ読んで!ホラーだけど!」と、お勧めしたく。こちらに書かせて頂きました。

まぁまだ色々語りたいこともある作品「アミダサマ」ですが。長くなったので、それはまた次の機会にでも。

長文、しかも重たい「死」というテーマのお話にお付き合い頂き、ありがとうございました。

いつものように夜の更新をしようと思いましたが、テーマがテーマなので朝にUPします。

今朝はとても気持ちのよい朝でよかった。


***


ちなみに。
私の大好きな父が亡くなった日の夕方、空に春としては珍しい大きな虹が現れました。

この日は、二十四節気をさらに細分化した七十二候のうちの「虹始見(にじはじめてあらわる)」というタイミング。

かつて、元気だった頃の父は私の結婚式(当時20代半ばな私、若かった!)に向け「式当日は自宅の庭に花をいっぱいに咲かせて、花嫁となり家を出る娘を送り出したい!」と、種蒔きから準備して庭をブルーの花で満開に有言実行をしたのですが。そんなロマンチストで努力家でチャーミングな父らしいサインだなと、今も虹を見るたび思い出します。

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