呪術廻戦の夏油のことばっかり考えている夏→秋。
金木犀の香りがしてきて、秋晴れ続き。朝晩もめっきり気温が下がり、今年の夏の暑さが嘘のような毎日。
秋ですね。
今年の夏は『呪術廻戦 〜懐玉・玉折〜』が放送されて、もうすっかり秋になった今もなお、ずっと私は夏油傑について考えてます。しつこいな。
最初は「どこから(五条悟と)違ってしまったのか?」が気になるのかなぁと思っていたけれど、考えれば考えるほどそれは単なる入り口で今は、私はあんな風にそもそもは高い志や理性があった人が色々あって全部イヤになって真逆に振れる姿を見るのがツラくて、やけに夏油に反応していたんだと気づきました。
人なので。
しかも半世紀以上生きてきてるので。
リアルな人間関係でも、そういう人たちをたくさん見てきたけれど。そして気持ちもわかるけど。
私はいつも悲しかった。
キラキラ頑張ってた友達が、頑張ることや頑張る人を謗るようになってしまう姿も、高い理想を持っていたのに無気力になってしまう姿もみて。何もしてあげられない無力な自分が嫌いだった。
もっと言えば。
私にもそういう『芽』はきっとあるのがわかるから。夏油をただのヒールで片付けられなかった。
そりゃ、吐瀉物を処理した雑巾を丸飲みなんて「なんでそんなことしなきゃいけないんだよっ」てなるよね。
夏油に限らず、今この瞬間に現実としてガザ地区をはじめ、本当に苦しくて悲しい思いをしている人の声があるわけで。
とはいえ。
それを全部拾うことはできない(そして、拾ったら拾ったでそれは自分もキツい)けれど。
だからといって無かったことにしたり、自分に影響がないから関係ないと切り捨てれば捨てるほど、巡り巡って夏油のようになってしまう人が今の時代増える気もしている。
もちろん。そうした事実から目を背けることを「見捨てる」とか「逃げる」と批難したいわけではなく。
ただ夏油を思うのと同じように想像したい。
そのくらいしか出来ないけれど。
でも、想像すること、その結果、そんな現実はイヤだと心から思うことで変わる可能性は上がるはず。
世の中、夏油だらけになったら悲しい。
…そんなことを、最近はよく考えています。