祖父の話
祖父の見舞いに行った。
無数の管がつながれ、酸素を送り込む「シュー」という音だけが響いていた。
両親は、母だけが、祖父に話しかけていた。
祖父は、やがて口を開く。
が、僕にはそれを聞き取ることができなかった。
こうなるなら、もう少し話をしておけばよかったと、後悔を少ししていたりする。
祖父は、何かをまだ話そうとするのだが、呼吸のむずかしさがそれを阻む。
僕はそれを見ていると、涙がこぼれそうになり、少し上を向いた。
病院の面会時間は15分。一度も祖父と言葉を交わすことなく、病室を後にした。
僕の後に病室に入ってきた彼は、いったいどのようなことを話したのだろう。
いや、話していないかもしれない。
1月13日、また祖父の見舞いに行った。
僕らが着いたときにはもう、目を開けることも声を出すことも難しくなっていたのだと思う。
ひたすら苦しそうに口を開け、必死で呼吸をしていた。
声をかけてやれと言われても、何を言っても失礼に当たる、そんな気がして、なかなか言葉をかけることができなかった。
帰る直前に絞り出すことができたが、それは「また来るからね。頑張ってね」という、あまりにも安直で、酷な言葉だった。
1月14日
祖父が亡くなった。
祖父は、永い永い旅へと出発したのである。