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うんを踏む

株のデイトレ、スイングなどで凡そ1000万円弱のマイナスとなり、体調が悪化し、精神的にもおかしくなった。血便、不眠、食欲不振、引きこもり、不安等でどん底の半年間だった。根拠はないが自信はあったし、自分なら出来ると信じていたのだが、現実は毎日が地獄。結果が伴わないとどんどん弱気になり、この半年間は俺みないな無能でダメ人間は今すぐに死んだほうがこの世のためによいと毎日思いながら、部屋で独り自分自身で憐れみ発狂し泣くことしかできなかった。こんな精神状態では、正常な判断がトレードで出来ていないし、日々の銘柄分析も真面にはできていなかったと思う。基本お祈りトレードだったんだと思う。しかし、トレードで稼げなければどちらにしろ自分の人生は終わりで野垂れ死にすることには変わらない。だから毎日地獄のマイナストレードでも9時前にはPC前へ座り、デイトレという戦場に向かうしか選択の余地はなかったし、それ以外で生きる道を見いだせなかった。気がつけば自分で設定した退場ラインの証券口座残高40万円を切り、つい先日には30万円をも割って29万台となる。生活費の支払いのことが過る。今ここで退場し、29万円あればぎり、2ヵ月は生活できそうだ。住宅ローン、水光熱費、保険代、医療費など切り詰められるものは何かを今更だが真剣に悩みはじめた。仕事の復帰やアルバイトなど収入を得る方法なども悩むが、答えは見つからないし、こんな状況になっても株のトレードしか考えられない。これは執念といえば聞こえはよいが、依存症の部類だとも思う。ただ、ひとつだけブレないものがあるとすれば、それは株が好きだということ。これだけは株をはじめた当初の気持ちから変化はない。この好きだという気持ちに正直になれたのは人生の42年間で学べた俺の教訓だ。好きな人、好きな女、好きな場所、好きな事、いろんな好き、いや大好きを自らの選択で手放し、その都度あとで後悔をしてきた事実がある。それ故、いま精神を病んでしまったのかも知れない。もう後悔はしたくない。こんな中途半端な人生を歩んできた俺だが、幸いにも少ないながら幾つかの守るべき好きがある。理想とは少しだけ違うのかもしれないが、描かれた理想では想像できていない楽しみや幸福があった。自分が流れに乗り、順調な時には気がつけなかったが、どん底の今はじめて知ることができたのだ。俺はバカであるが故、このようなどん底まで落ちないと真の愛や大切なものがわからない。好きな株で自己破産したのなら、仕方ないじゃないかと最後の最後で証券口座に追加の入金を行い、分析を行ったうえで、ギャンブルトレードをさせてもらった。結果、運よく1週間で12万円(40%)の利益が取れた。多少の分析を行ったが、この結果は積んだ運をわけてもらえたとした俺には思えない。自分の力ではないことは間違いない。家族の支え、そして神というのか神秘めいた不思議なチカラをいただけたのだと、おこがましいがそう思う。なぜそう思うのか理由がある。株で負け続けている時に、不眠、不食、血便、引きこもり等で、激やせし体力が落ちて、このままだと本当に人生が終わってしまう。野球好きな俺は勝手に、高校球児たちやプロ野球選手、メジャーリーガたちの戦う姿に勇気をもらい、背中をしてもらい、引きこもることをやめて外にでる決意をした。精神的に病んでいた俺にとっては、外にでるという行為自体が非常にハードルが高くて、簡単なことではなかったのだ。これが鬱状態ということなんだ。しかし、がんばっている野球選手たちで特に高校生たちの夏の甲子園地方予選の戦う姿やその球児たちを応援する周囲の人たちの姿や関係者の方々の姿をみていて、俺は勝手に勇気をもらいながら、自分を奮い立たせていた。地方予選終盤になると甲子園とは別の緊張感が地方予選にはあり、甲子園とは異なるの緊張感、気迫、応援を観ながら野球という人生ドラマから勇気をもらっていた。必死とは美しかった。感動した。今でも何故か涙が溢れそうになる。そのくらい彼らや彼女たちから勇気をもらった。生き返れたように思う。この半年間、WBSからはじまり、プロ野球開幕、そして夏の甲子園と俺は野球に支えられ、魂をもらっていた。どん底だった俺を引き戻し、人としていきる力を節目節目で与えてくれる。そんな野球に力をもらい、ようやく不安と恐怖を除け、デイトレ後、約1か月ぶりに陽の当たる外に出られた。筋力低下のせいで、まっすぐ歩いている感覚がなく、ふわふわしている感じ。わずか数分で足が痛み、力強く歩こうとしているのだが、それができない。情けない。周囲の目が気になるし、何かがこわい。ビクビク、ふらふらと歩き進めている時に、それ起こった。左の足裏にぐちゃっという柔らかくて、3センチくらいの高さで横に幅広く広がっている棒状のものを踏んだ感触が足の裏から鮮明に脳に伝わる。その瞬間やってしまったなと悟り、意を決して外に出たにも関わらず初日の数分でうんを踏むとは…俺はなんてついてない男なんだと、悲観にくれながらも、うんを消し去りたい思いでだけで、近くの公園へ足早に向かう。ふらふらしながら。うんを洗い流してその後30分くらいだろうか歩き続けるもうんを踏んだせいか何か気持ち悪い感じが離れない。ただこのままでは負の感情を持ち帰ってしまっては、己は何も変われないどころか悪化する。そうだうんを踏んだということは、運が有る。俺は運を掴んだ。そう思うことにするしかなかった。地獄の日々を抜け出したかったし、健康なからだ、精神に戻りたかった。だからうんを踏んだことで、運が上昇する切っ掛けになればと思うようにした。ここから毎日、近所の神社に通うようにしている。昼間はデイトレしながら、甲子園を聞き、夜はプロ野球を観て、大引け後は神社へ。そんな真夏を過ごてきた。段々と体力と筋力は戻り、今では神社への往復をランニングできるまで、体力を戻してきている。毎日お参りしていると、不思議なことだが強欲が消え、目の前にあることやもので、既に俺は恵まれているという思考に変換できるようになった。好きなもの食べて飲んで、旅行やコミュニケーションがなくとも、行動を変えてからは身近な人や物が愛おしく、今が一番幸せだ。どん底である現実は変わらないかもしれない。しかし、そのどん底を経験して、底力という言葉の意味を実感しつつある。まだまだどん底から立ち上がっただけに過ぎないが、うんを踏んだことで何かが変わっている。ここからまた困難は幾らでも俺に降りかかってくるだろうが、地獄とドどん底、うんと底力を目の当たりにした俺は過去の弱い自分とは違うはずだ。俺は俺を信じている。貴重な経験をありがとう。そして神様に、家族に、野球人たちに感謝。

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