映画について、ぼーっと 2023-3-3
今日はちらし寿司を食べました。きしめんです。
昨日はBLUE GIANTを観て、今日はフェイブルマンズを観てきました。学生料金で映画を観ることができる最後の期間、珍しいくらい頻繁に映画館に通ってますね。この時期に気になる映画が色々と公開されているってのもある。アカデミー賞前後は例年期待作が固まるし。
結果、BLUE GIANTはノれず、フェイブルマンズは楽しめた。「映画」という枠だけでこの2作を並列に並べてるのも変な話だな。でもそれが映画か。なんて。
自分が楽しめなかった映画について考えることによって、じゃあ自分はどんな作品が好みなのかという自己分析に繋がると考えているので、昨日はBLUE GIANTを悶々と反芻していた。なーんかテレビアニメ観てるみたいだなぁと思う瞬間や、拙い3DCGを見せられている時間に心が離れてしまったんだな。久々に映画館で映画を観ながら心が離れていく体験をして、そういやこんなこともあるんだったな、という不思議な気分に浸っていた。音楽は素晴らしいし、後半に胸を打たれるライブシーンもあった。ドラムの演奏シーンは特に…。しかしながら、いったん離れてしまった心がぐっと戻ることはなく。失礼ではあるけど、THE FIRST SLAM DUNKとどうしても比較してしまう部分があり、タイミングが悪かったようにも思う。
映画を観るとき、「どこにどこまで目を瞑ることができるのか」というラインが皆それぞれにあると思う。これは意識的に操作できる時もあるが、ほとんどの場合は無意識下のものであると思う。それは事前の宣伝の印象や、アニメか実写かの違い、製作陣に好みの人がいるかの違い、原作を知っているか否か、何かのシリーズの続編であるかどうかが要因になる。そのうえで映画に"期待"をする。逆にいえば、いつも何も期待しない状態で映画に臨めば、どんな作品であっても楽しめるんじゃないのか?とは思う。けれど、それを実行するのはかなり難しいし、そもそも何も期待しないで映画を観に行くことが楽しいとは思えない。だから、どこに期待をするのか、無意識下でなんとなくの焦点を絞って臨む。
それで楽しめたら万々歳。楽しめなかったら、それば自分にとってはずれだったと。
やっぱ映画を観るのって賭けだよな。当たりの映画を観た時の快感を追い続け、時間やお金をベットした賭けに興じているのが映画好きなんだと。
それで今日、フェイブルマンズを観た。映画を作ってきた人が、自分に向き合い、映画を作ることの功罪に向き合い、映画を作っていた。面白かった。話が面白かった。カメラワークが面白かった。スピルバーグって映画が上手いな、というバカみたいな感想を抱いた。大好きか?と問われると、そこまでではないかも。好き、という感じ。でも確実に楽しかった。
映画を観るのが好きなんだな、自分。
この時期に、改めてそう思えたのは幸運かもしれない。今後忙しくなっても、まだ映画から離れられないでいるだろうから。「花束みたいな恋をした」の菅田将暉になるのが怖いんだ…ああはなりたくねぇんだ…菅田将暉になりたくないよぉ……。
今日はこの辺で。
それでは。