トイ・ストーリー5制作中だってよ 2023-2-10

心がざわざわします。
きしめんです。

トイストーリー5制作中ですって。「・」省略で進めます。

(どこ張るか迷ったからいつも使ってるCBRにしておきます。)

困るねぇ…。

私はトイストーリー1作目と2作目を繰り返し見て育ち、3作目に映画館で涙した人間であり、トイストーリーを自分の中で神格化してるといっても過言ではありません。そんなところに4作目が現れただけでも十分困っていた。そこに5作目が来る…。

と、そんなニュースが昨日アナウンスされた中で、今日友人がトイストーリー4の感想をLINEで送ってきて、それに対して自分の考えをぶつける中で「もう一度トイストーリー4に向き合わないといけないよな」と考え、このタイミングで自分も再鑑賞しました。

以下、トイストーリー4について話します。

トイストーリーの事を完璧な3部作だと考えているうえで、4作目のことがめちゃくちゃ嫌いというわけではない、というのが自分のめんどくさいところで。トイストーリー4はあの作品なりに3までの話に向き合い、その続きを作る意義を見出そうとしていることが感じ取れる。少なくとも自分は。にもかかわらず、それまでの3作品に並ぶほどの面白さを感じ取ることができないから、「ならばない方がいい」と考えてしまうめんどくささ。3作品を神格化しているからこその極端さ。

この作品が提示した「ボニーの家ではウッディはリーダーではない」は3の描写からしても自然だし、そのうえで「選ばれないおもちゃになるウッディ」が「おもちゃの保安官として新人を助ける役割に固執する」という流れはウッディの物語としてのトイストーリー三作品を真摯に考えた結果だよなと深くうなずいてしまう。2のウッディがみる捨てられる悪夢や3のゴミ集積場を経てフォーキーを登場させ、おもちゃがごみになること、ごみがおもちゃになることの境界を描く。さらに、遊ばれなくなったおもちゃはごみなのか?というところからボーの話につなげ(ようとしてい)る。ウッディが過度に新人のおもちゃを気に掛けるくだりは、1作目でバズが目障りだったころと対になっているし、だからこそ「お気に入りのおもちゃは持ち主のそばにいるべき」というウッディの考えが強いものであると伝わる。

一応のヴィランとして配置されるギャビーギャビーが、最後は救われる対象として描かれるのもこれまでの作品におけるヴィランの扱いはどこまで正当だったのか?という問いになっていてよい…けどやっぱりここは乗り切れない部分もある。「フォーキーを誘拐した状態でウッディからボイスボックスを譲られる」という悪役としてのムーヴを完遂したうえで救われる対象になる流れはあんまり気持ちが乗らない。けどやっぱやっていることは好き。

最後には「おもちゃは持ち主のもとにいるのが本当に1番幸せなのか?」という問いを突き付ける。トイストーリーの4作目を作るなら、これは確かに必要だったのかもしれない。

などなど。

トイストーリー4は4作目として好きな部分はあるからこそ、嫌いになりきれない部分があって。でもやっぱり「完璧」じゃないから全面的には好きになれない。

まだまだこの作品とは向き合っていかないとな、なんて思っています。


...ここに5作目が来るのかぁ。

今日はこの辺で。
それでは。



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