他人を変えようと必死な時ほど他人は変わらない

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私はバツイチのシングルマザーで息子が1人います。

息子が中学一年生の三学期にいきなり不登校になりました。

理由は分かりません。成績も普通、友人は多い、いじめはない。不登校になる要素と思われるもの全てに該当なし。

今はそれなりに落ち着いて学校に行かない代わりにアルバイトをしている本人に聞いても「分からない、とにかく嫌だった、理由はないけど」というので、一生誰にも分からないと思います。

息子が不登校になったことで私が1番悩んだことは、息子に振り回されることでした。

夜には「明日は学校に行こうかな」というのに朝になれば「行かない、行きたくない」という。

行きたくないと自己申告するならまだいい方で、「行く」と言いながら私が出勤したあとで勝手に学校に「休む、親も了承している」と連絡して休むこともしばしば。

それが私と学校にバレてからは「行かない、一生行かない」の一点張り。

私は仕事をしながら息子や学校のことで駆け回り情報を集め泣くのを必死に堪えながら日々を過ごしていました。

とにかく息子に変わって欲しかった。

わざわざ困難な道を選ぶのではなく、普通に学校に行き卒業、進学し、仕事について自立する。そういう道を歩いて欲しかった。

周りから勧められたこと、自分で考えついたことは何でもやりました。

学校の先生への相談、スクールカウンセラー相談、児童心理を扱う精神科への相談、児童相談所への相談、臨床心理センターでのカウンセラーへ相談、不登校専門カウンセラーへの相談、スクールソーシャルワーカーへの相談、フリースクール利用の打診、自立支援センターや区役所への相談。果ては息子が小学生の時に「いい先生だ」と言っていた学童保育の先生への相談。

息子が暴れてどうにもならない時には警察の力も借りました。自分で110番通報し、我が息子を警察に突き出した悲しみは例えようもありませんでした。

どこに相談しても「子どもとはいえ中学生で自我がしっかりある人間が、自分でこうと決めて動こうとしないなら自分たちにできることなど何もない、息子くんから手を伸ばさない限り何もできない、しても拒否されるだけ」と言われるばかり。息子が唯一自分から「会いたい」と言った学童保育時代の先生にも、息子は会って話はしましたがそれだけでした。

息子に1度も会ったことのないスクールカウンセラーからは「息子くんが実は1番辛いはず」と言われましたが、家で昼夜逆転生活を送りゲームをしては怒って物にあたり叫びだし、夜中に動画を見ては大声で笑う毎日の息子が1番辛いとはどうしても思えませんでした。

学校に行かないなら行かなくて別に構わない。周りの迷惑になる昼夜逆転生活や大声で騒ぐなどをとにかくやめてもらいたい。

私の頭にはそれしかなく「とにかく息子をどうにか変えたい、変わってもらいたい」の一心で動き続け、頭を下げ続けました。

結局、息子は中学3年まで一学期に3回程度の登校頻度で卒業し、不登校児受け入れ体制のある高校に入学しましたが、2回ほど行ったあと行かなくなり中退しました。

学歴がなくてもとにかく生きていてくれればいい、とは到底思えませんでした。

私と周りに迷惑をかけ続け、住む場所さえも失いかけているのになおも自分を押し通すことしか考えない息子に「消えてしまってくれ」と願ったことも1度や2度ではありません。

それがある日突然変わりました。

息子にはかねてから「中学を卒業してもまだ私と暮らしたいと思うなら、高校に行くかバイトでも何でもとにかく仕事をするかの2択しかない。どちらもしないなら出ていってもらう、あなたが出ていかないなら私が出ていく。これ以上あなたの面倒は見切れない、私は私で生きていくからあなたはあなたで生きるなりなんなり好きにしろ」と明言していました。

息子が高校を中退した時に私は自分が出ていく準備を始めようと思い、遠いところでの仕事を探し始め、当時やっていたタロット占い師として本格的に稼ごうと思いそのための準備も始めました。

自分の通帳とタロットカード。それだけ持って家を出るつもりで「決行は来月だ」と決めた日。

息子がニコニコしながら「明日面接に行く」と言い出したのです。

「面接って何の?」と聞く私に「バイト。友達と一緒のとこ受ける」と私の目の前でスマホアプリでさっさと面接予約をとっていました。

ぽかんとしながらも「いや、こういうの今まで何十回もしてきた。どうせ当日になったら行かないって言い出す。今までそうやって信じて期待して裏切られてきたじゃん」と思う私。しかし息子は当日さっさと面接に行きました。結果は不合格。私はこれでまた動かなくなるんだろうなと思っていましたが、一緒に不合格になった友達と別の面接に行くとまた予約をとって、即決採用されて帰ってきました。

今まで、私が必死に変わって欲しいと願い動き続けた3年半には何も動かず反発ばかりしていたのに、なぜ急に動き出したの?

何がなにやらさっぱりわかりません。

今思えば、息子は私からの「お前が変われ」圧に反発していたのだと思います。息子の脳は今まで通り好き勝手にやりたい。そこを私や中学校が力ずくで無理やり「もう中学生なんだからきちんとして、子どもじゃないんだから」と押し通そうとしたので「変わりたくない」と反応していたんでしょう。

それが高校中退したことで「このままだと母親が家を出るか自分が家を出るかしかなくなる」と無意識に危機感を感じたのだと思います。息子は私が1度口にしたことは必ず実行するしその時に文句を言っても「そうすると言っといた。猶予期間も与えた。これ以上話すことなど何もない」と完全スルーするのもわかっているので。

バイトをして私と暮らした時の生活と私に出ていかれた後の生活とを天秤にかけてバイトをすることを選んだと言っていました。


血を分けた実の息子でさえも、他人である親の思うようには変わりません。自分が変わりたい、変わらないとヤバいと思った時に変わります。

それが赤の他人なら?

尚更変わらないですよね。

北風と太陽のお話ではないですが、他人に変わって欲しいと動いている時ほど変わりません。

変わる時はあくまでその人のタイミングで、です。それが周りから「え? 今? なんで?」なタイミングだとしても、です。

他人が変わらないなら自分が変わったほうが早い。

自分が変われば望む現実かはわかりませんが、必ず現実に変化は起こります。


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