『ひとりぼっちの地球侵略』Valentine's Day/White Day【1】
「人手が足りないんなら最初からそう言いなさいよ……」
アイラはそうぶつぶつ文句を言いながら、家庭科調理室でチョコレートを刻んでいた。ザクザクと小気味よい音と共に板チョコがバラバラになっていく。
「いやー、ホームメイキング部で休みがずいぶん出ちゃって。このままだとチョコクッキー作りきれないって友達が困ってたんだ~」
加村が三角巾越しに頭をかいてそう言った。2月13日の放課後、家庭科調理室にはアイラや加村、青井たちを含めて十数人の女子たちが集い、班ごとに分かれてチョコクッキーを作るべく奮闘していた。アイラは自分を誘った(参加を強制した)青井や加村、堀井たちの班に加わっている。
「にしても私、料理が上手いなんて言った覚えないんだけど。よく誘う気になったわね」
「チョコクッキーくらい調理実習こなせるなら全然OKっしょ! 計量とかオーブンの難しい部分はホームメイキング部の方でやってくれるから大丈夫だってさ」
「私、アイラちゃんが大鳥さんたちと一緒に体育祭でお弁当食べてたの見たもんねー。後で大鳥さんに聞いたら二人とも手作りしたっていうから、その腕を見込んでお願いしました!」
「私たちのクラス、体育会系が中心だからねー。この手のことが得意そうな人探してたんだー」
「…………」
アイラは静かに歯がみする。別に料理は得意ではないが、苦手だと白状する気もない。自分をこの状況へと間接的に追い込んだ大鳥希を恨まずにはいられなかった。
「チョコレートを刻み終えたら湯せんをしてくださーい。他の人はクッキーの生地の作成に取りかかってくださーい」
ホームメイキング部の部員だろうか、全体へと指示が入る。アイラが担当しているのはチョコレートの湯せんだ。終わり次第加村たちが作っているクッキー生地に溶かしたチョコレートを混ぜることになる。
「この分量、絶対にホームメイキング部だけじゃ食べきれないでしょ。クラスにも持っていくつもり?」
「そりゃー勿論! 2年4組も男子全員分は確保できてるよ。もうすぐクラス替えもあるし、思い出はなるべく多く作っておかないとね!」
「何だかんだ私たちで4人分の助っ人だからね。これだけ混ざっちゃったらクラス分貰っちゃっていいかなって話になったんだー」
「思い出作り、ね……」
ふと大鳥希のことを思い出す。思い返せば希自身は入院という名目で学校に来ないことがかなり多かったが、一方で学校行事にはやたらテンション高く参加していた。彼女が眠りについていなければ今頃一緒にチョコクッキーを作るハメになっていたのだろうか。
もっともその場合、クッキーが無事に完成するかは甚だ怪しいし(壊滅的な味になるかクッキーが物理的に壊滅するかの二者択一だ)、第一希がクラスの男子に義理チョコを渡す光景など想像できない。結局彼女が関心をもつのは岬一のことばかりなのだから。そしてそれは、自分にしても同じことだ。
「言っておくけど、私は別に義理チョコ配りには参加しないからね?」
「分かってますって。アイラちゃんの事情だって忘れてませんよー」
「そろそろこっちだって質問したいもんね……フッフッフ」
そう言いながら加村と青井が寄ってくる。クッキー生地の準備は間に合っているのだろうか。
「アイラちゃんにはいるんでしょ~? 渡す相手。義理じゃないのが」
「修学旅行のとき話題になったヒトでしょ! 察するに……甘いものが苦手とみた!」
無駄なところだけ記憶力がいい。
「あれは知り合いの兄貴だって前に説明したじゃない……」
「まーまー、そういうことにしておくとしてー」
「おくとしてー」
「最早話聞いてないでしょアンタたち……」
「渡す予定はあるのないの、どっちなの! 義理か本命かは問わないから、YESかNOかで!」
「……まぁ、なくはないけど……」
おぉ~、と静かに二人がどよめく。これ以上ペースを握られるのはまずい。
「そう言えば、昨日の質問の答え、まだ聞いてないわよ」
「あれ、そうだったっけ?」
「なんで修学旅行のことは覚えててそっちは覚えてないのよ……ま、ここで作ってるのがクッキーってことは、他のものでもアリなのね?」
加村と青井が頷く。
「チョコを渡す、っていう文化も日本だと企業が率先して宣伝したものみたいだからね。甘ければ他のものでもいいじゃん、みたいな」
「最近は和菓子とかでも良いって聞くよね。そっちならあんまり甘くないものもあるんじゃない?」
「そう……わかった」
実のところ、昨夜の段階である程度分かっていたことではあった。自宅のパソコンで調べればすぐに情報が出てきたのだ。どうやらバレンタインデーにちなんで様々な菓子を売ろうとする会社や企業は多いらしい。中にはマシェフスキー家の財閥の傘下にあるものも幾つか見受けられた。これなら贈り物として相応しい品を今日中に取り寄せることもできるだろう。
問題は、それが龍介へ手渡すものとして相応しいかどうかであった。
(岬一が言うには龍介が好きなのは白餡……勿論その手のお菓子も買うことはできるけど……本来すべきなのは手作りよね……)
そちらにしても時間がないわけではない。帰宅してからでも十二分に時間はある。しかし、見た目や味の方は時間があればどうにかなるようなものではないのだ。
(確実性を求めるならちゃんとした品を取り寄せるべきだし、でも手作りの方が喜んでもらえるかもしれない。いっそここで作ったチョコクッキーにすべき? でもそれだと甘すぎるかもしれないし……)
「何を渡すかも大事だけどね。やっぱり重要なのは渡して何を伝えるかってことだよねー」
ほのぼのとした声がかかってハッとする。見ると堀井がボウルを持ってアイラのそばに来ていた。生地の準備が整ったらしい。こちらもチョコレートの湯せんはちょうど済んでいたところだった。
「おぉー、流石テクニシャン堀井しゃん。言うことが違う」
「バレンタインデーのチョコって、要するにシチュエーション作りの一つなんだよね。単に贈り物を用意するだけじゃなくって、どういう状況を作って渡すか、そのときに何を伝えるか、そっちだって大事にしたいよねー」
「確かに……本命って分かってもらうには言葉も必要ってことね……」
青井がメガネをクイっと上げながら感嘆している。
「言葉っていうか、やっぱり告白だよね。渡して満足していたらその先には進めないもん」
「だってさ! アイラちゃん参考になった?」
加村がニヤニヤしながら聞いてくる。自分も聞き入っていた手前、否とは返しにくい。
「まぁ……ね……」
生返事になってしまう。加村たちが追い打ちをかけようとしてくるが、その前に後ろから声がかかった。
「すいません、湯せんしたチョコレートを生地にすぐまぜてくださーい、固まってしまうのでー」
先ほど全体に指示を出していたホームメイキング部員だった。周りを見てみれば他の班は作業が随分先に進んでいる。
「あわわ、アイラちゃんコッチにお願い……!」
慌てて加村がボウルをこちらに寄せてくる。こっちもチョコレートが溶けている間に混ぜ合わさないといけない。会話は後回しだった。
恐らくだが、このチョコクッキーが龍介の手に渡ることはないだろう。やはり自分の手で何かを用意しておきたい。その方が、自分自身の心を龍介に言葉にして届けられる気がしたのだ。堀井たちの話も多少参考になりはしたが、それでもこのチョコクッキー自体は自分には不要なものだろう。
ただ、それはそれとして、このチョコクッキーはちゃんと焼き上げておきたい。そう思ってしまうのは何故だろうか。漠然とした自分の気持ちを掘り下げる暇もなく、アイラはチョコレートをボウルへと流し込む。チョコレートはクリーム色の生地と混ざり合い、やがてマーブルから茶色へと生地の色を塗り替えていった。