信じたものが誤謬と消えてゆき、何も残らない結末
【最終更新:2020.12.6 少々の加筆修正】
ザインが2015年に事実上の解散を迎えてから、既に5年の月日が流れた。
それなのに何故Riotは、今もってザインや小島露観に粘着するのか? という疑問を持つ方もいらっしゃることだろう。
私がザインや小島露観、広くカルト問題から離れたくないと思える理由はいくつかあるのだが、その中でも、解散から5年経った今だからこそ強く明確に思っている事柄をハッキリとここに刻んでおこうと思う。
私達が信じた帝國はまやかしだった
マスコミから「全裸SEX教団」と報じられたザインであったが、私達は確かにそこに理想があると信じ、夢見ていた。
●権力と権力が結び付き、弱者を蹂躙して食い物にすることのない世界
●正直者が報われ、卑劣な者が報いを受ける世界
●自然が蘇り、個人が存在の本質を体現する力強く美しい世界
あるいは
●強くて魅力的な人になりたい
●幸せな恋愛・結婚をしたい
●お金持ちになりたい、豊かになりたい
●埋もれた才能を開花させ、発揮したい
ワンダーライフをきっかけに入った者、核石や占いをきっかけに入った者、その他様々だが、小島露観の「理想の帝國」をそれぞれの夢や願い、善意や理想と重ねて、そこにお金と時間とエネルギーを費やしていった。
しかし、私達が信じた帝國は、ただのまやかしでしかなかった。
小島露観の威圧感を与える仰々しい発言や行動は、当時の私達に真剣さとカリスマ性を感じさせたが、実際はその場その場の言動で自己満足・自己完結していて、めぼしい成果を生み出すことはなかった。
1994年の地震予告は外れ、それを軍士のせいにした。
その後も権力を取ろうとそれなりに動いてはいたようだがクーデターを実行することはなく(※1)、報道特集ではTVカメラの前で「(政権なんて)とれるつもりもなかった」「できるわけがない」と明言した。
報道のせいで世間に悪評が知れ渡り経営が苦しくなった際には、軍士をはじめとする会員に対して、「帝國のために」という大義名分の下に、「どれだけ借金してでも、人を騙してでも金を用意して、高額聖品を買い儀式を受けろ」「女性会員は風俗で稼げ」とけしかけて、多くの会員を経済的にも精神的にもボロボロにした。
卑怯を嫌い、正直に正々堂々と振る舞うことを掟・美徳としていた組織であったが、露観や幹部連に忖度しないと、あるいは気に入られないと、陰に日向に中傷されたり、攻撃されたり、「悪存在」扱いされて追放されたりした。
敵視していた世間と同じく、いやそれ以上に陰湿で本音と建前の使い分けが強く求められた組織に、心のきれいな人を育む力など望むべくもなかった。
何より、聖品、儀式、剣、ホロスコープ変更など、ザインが販売提供するあらゆるサービスに、所期の効果が全く見られなかった。
これらはザインが世界を変えるための「戦略」としても位置付けられていたから、世も人も全く変えることができなかった…ということになる。
このように何も成し得なかった小島露観は長男の下剋上により、自らを支持しない軍士達への恨み言をまき散らしてザインのトップから降りた。
その長男も、新規顧客が見込めない会社としてのザイン(株式会社シリウス)の経営を立て直すことを諦めて、破産することを選んだ。
実質上の組織の解散。2015年1月のことである。
いち早くザインを辞めた、あるいは辞めさせられた会員の大半は、離れたことをきっかけに、ザインはまやかしだったと気付くに至った。
しかしザインの解散によって、最後まで残っていた会員や、脱会後も小島露観を支持していた元会員も、ほとんどの者がそのことに否応なしに気付かされることになった。
誰からも、何の弁明もない
あくまでも「元会員にとっては」という話だが…
ザインには輝かしい理想があった。
ザインがもたらすであろう理想の社会や理想の自分に、夢や希望を抱いた者がいた。そのための戦いに身を投じた者がいた。
しかし、その理想は見事に踏みにじられた。
あるいは、自らの手で理想を引き裂き、その足で理想を踏みにじった。
無理に聖品を買わせ、儀式を受けさせる営業。
そのために借金をさせ、女性会員を風俗で働かせる。
恐怖による支配。
会員を悪と断定しての中傷。
いびつな上下関係がもたらす人間関係の歪み。
言葉の暴力、あるいは物理的な暴力。
それらは、私達がザインに入る際に抱いていた夢や理想とは程遠いものだった。
それどころか、身体や精神に、経済的に、深い痛手を負うことになった。
当時、ザインや小島露観、核石や儀式を薦めていた方々は、この事実をどう思っているのか?
他者に薦めていた以上道義的責任はあるのだから、SNS等で何がしかの弁明はあって然るべきではないか?
大変遺憾なことだが、当時ザインの諸活動を薦めていた方の殆どからは、何の弁明もないのが現実だ。
時は過ぎ去り、何も残らない現実
一方、私はRiotとしての活動の中で、様々な元会員の方と交流を持たせて頂いている。
その中には、当時幹部の立場にあった方々も含まれる。
当時のエピソードや、それぞれが今思うことなど、色々な会話を重ねていく中で、様々な現状や心情を知ることができた。
ザインに深く関われば関わるほど、そのこと自体が「思い出すのも苦痛な事柄」となっているのだ。
お酒を飲みながら和やかにお話していても、彼等の心のブラックボックスの中では、言いようのない苦痛や後悔や怒りといったものが整理されずにどんよりと渦を巻いていることが、時折伺い知れる。
諸活動において人を傷つけた人の多くは、そのこと自体に痛みを覚えていて、深く反省もしている。
ただ、そうした自らの心情と向き合って整理すること自体、強い苦しみを伴うし、とてつもない精神的エネルギーが要るのだ。
ましてや、心情をオープンにして語るとなればなおのことである。勇気をめいっぱい奮い起こさねばならない。
また、年をとればとるほど、生きていくこと自体にエネルギーを取られていく。(これは私自身にも当てはまる)
過去と向き合い決算するどころではない(もしくは、そこに全く意義を感じない)という状況も、よく理解できる。
そうしたことを知るにつれ、私は個人的心情はさておいて、当時の関係者たちに殊更に弁明や反省の弁を求めるつもりはなくなっていった。
一方、被害者の側(※2)は、ザインや小島露観が間違いだらけのまやかしだと気付いたときに、どういう心境になり、どういう行動をとるのか。
精神的ダメージや金銭被害の程度は人それぞれだが、そこから立ち直る過程は様々である。
強い怒りが湧き上がり、web上でその感情をぶちまけたり、ザインで体験したことを告白したりする人もいる。
何も言わず語らないが、強い怒りや悲しみを心に抱いている人もいる。
元会員同士で、思い出話を交えながらそうした感情を吐き出したりすることもあるし、口をつぐむ人もいる。
また、一切の出来事を振り返ることを拒む人もいる。
思い出すこと自体が苦痛であったり、意味のないことだと考えたり、それぞれに理由があるのだろう。
痛みが深ければ深いほど、思い出すこと自体が苦痛な事柄となって、心のブラックボックスにしまい込まれる。
「ザインに束縛されない人生」を懸命に生きながら、それぞれがそれぞれのやり方で、心にしまい込んだ痛みを整理していく。
苦闘が続いたり、新たな楽しみや生き甲斐を見出したり、同じようなものに引っ掛かったり、そこはまあ色々だ。
しかしザインが解散した以上、それについて今更語る必要もないわけで…
被害者にとって辛い記憶ではあるけれども、徐々にそれらは薄れていくのだろう。
そして当の小島露観は表立った活動こそしていないものの、今なお己の言動を悔いることも省みることもなく、2020年5月には、新型コロナ感染症にかこつけてこのような文章を公式サイトに掲載している。
DOOMがどうとか書いているが、元会員であれば既視感しか覚えない「いつもの脅し文句」である。
この人物は死ぬまで変わらず、泡沫カルト教祖としての己の生を全うするのであろう。
このように、会員の理想・夢・希望を乗せた「ザイン帝國」は、それらとは裏腹の実態で運営を続けた挙句、その歪みがたたって崩壊した。
かつてそれを信じた者は、それぞれに思うところはあるけれども、それぞれの理由や事情により、ザインや小島露観が「嘘」で「まやかし」で「害悪」であったと公に発言することは多くない。
それぞれに様々なことを思いながら、それぞれの人生に埋没していく。
声高に掲げられた理想。
その結果と顛末に誰も責任を取らず、それどころか公に語られることすらなく、各人の記憶と心の奥底に埋没し、そして何も残らない。(※3)
かつて私達が価値あるものとして信じたザイン帝國の高邁な理想は、こうして人知れず、誤謬として霞の中に消えていく。
「既になくなったカルト」である故に感じる「怒り」
ザインは解散し、既に存在しない。
今も存在し活動しているのであれば、ザインや小島露観への批判には「事実の告発」「抵抗活動」「危険性の警告」という意味合いが含まれるけれど、もはや存在しないザインへの告発や抵抗活動の意味はないし、現状の小島露観にはそこまでの影響力がみられないため危険性は低い(が、決してゼロではない)。
私Riotが、既に存在しないカルトやその教祖を槍玉に上げて批判する意味が分からない…という意見も、会員歴の有無を問わずあるだろう。
だが、ザインが解散して時を経るごとに私が痛感するのは、
「ザインは、結局何も残さなかった」
という事実、現実である。
既に存在していないカルトであるからこそ、
抵抗運動として槍玉に上げるべき相手を見いだせないからこそ、
その事実を強く明確に感じるのだ。
上述のとおり、小島露観や彼に従った当時の軍士達が声高に打ち出して人々を惹きつけた輝かしい理想は、数百名(※4)の人々を巻き込んだ挙句にただの誤謬と化した。
かつて小島露観や軍士達が共有し熱く語り合った理想の絵図は、小島露観や一部幹部の愚かさによって地獄絵図と化し、加害者・被害者の立場を問わず在籍者を苦しめた。
ザインの理想も酷い実態も、それぞれの人生における個人的な思いに回帰し、痛みや苦しみも時を経て苦い記憶となり、そしていつしか忘却と風化の果てに消えていく。
世に残されたのは、一部の人のみが覚えている「全裸SEX教団・ザイン」という悪名のみ。
そして当の小島露観は変わらずひっそりと、己の妄想の世界を生きている。
何という空しい結果だろうか。
かつて高らかに掲げた
またそれぞれに信じていた
輝かしい理想も
善意も
夢も希望も
それが裏切られた痛みすらも
誤謬と化して霧散し何も残らない
この顛末を「仕方のないことだ」と言えるほど、私は物事を割り切れない。
世の中とはそんなものさと、すました訳知り顔をして分かった風な口を叩くことはできない。
かといって、小島露観に謝罪と反省を求め続けても徒労に終わることは目に見えているし、そのつもりも私には全くない。
当時の幹部、悪魔営業の推進者、波動巫女といった元軍士達に責任を取れというつもりもないし、元関係者の全てに対して「ザインのことを忘れるな、考え続けろ」などとアホなことを言うつもりもない。
特に被害者の立場にある人々に関しては、ザインのことなんて忘れられるなら綺麗さっぱり忘れ去ったほうが良いし、幸せに生きているならそれで良いと、心から思っている。
そして、元会員の皆がそれぞれに体験したことが、教訓や知恵となって後に生かされることを希望している。
しかしながら、ザインに関する一連の事実…
一旦は気高き理想を世に提示しながら、その理想とは裏腹の実態で会員を苦しめてきた事実は、たとえ関係者が口をつぐんだり忘れ去ったりしたとしても、決して軽いものではないと私は考える。
そして、こうした事実が忘却と風化の果てに消えてゆき、後には何も残らない…という現実を、私は憤りとともに重く受け止めている。
信じたものが誤謬と化して霧散し消えていく…という無情な結果、無情な現実自体に、私の心の奥はやり場のない激しい怒りを禁じ得ないのである。
ゆえに私は、その無情な結果をこそ明確に示そう。
そして、特定の誰それに対してではなく、この現実そのものに対する強い怒りを示そう。
ささやかなものに留まるかもしれないが、このような現実への抵抗の意を示そう。
私はこの現実にこそ怒りを表明し、
またこのような現実からも知恵と教訓を見出し、ささやかながらも後の人々に伝えたい、と思う次第である。
※脚注
(※1)クーデターが実行に移されなかったことは、個人的にはとても良かったと思っている。
(※2)勿論、被害者・加害者両方の要素を持つ方もいるため、実際の話はさほど単純ではない。
(※3)個々人に金銭的な負債は残ったが、自己破産や債務整理をした方々が相当数いることから捨象した。(が、金銭的な負債を決して軽んじているわけではないことも併記しておく)
(※4)上級会員ではなく「聖品購入者」ベースで考えるなら、その人数は二万名超に及ぶ。
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