メイク/フェイク(14日目)

妻はメイク動画が好きだという。

純粋にメイクの参考になるのもあるけど、誰でも変われるんだと信じているのが伝わってくる、そのことに感動するそうだ。

見るとたいてい、2分前にベッドから起きたけどそのまま死にたいほど寝起き悪いって感じの人が、顔に迷いなく筆を走らせる。次第にその人の顔に別の顔が上塗りされていく。
早回しのメイクが終わるころには、Photoshopで修正されたような、別人といってもいい顔になった女性が、顔の角度を変えながらその「完成品」を視聴者に誇示している。
外国の動画の方がビフォーアフターのギャップが激しい印象が強い。

でもそれは単に自分の顔に別の顔を描いてるということではないようだ。
演出なのかわからないが、大抵の場合、メイクが進むとその人の表情も、みるみるうちに「見られる対象である人」特有の、ある種の用意と確信に満ちたものに変わっていく。

メイクが終わったあとの顔が、はたして一般的に「美人」なのかというと、正直よくわからない。
動画によっては、プリクラ(まだこの機械はこの世に存在するはずだ)の、撮った時にやたらと目が大きくなるあれに近い状態になっているものもある。

でも、ひとつだけ間違いないのは、そのメイクをやって動画をアップしている人は、それを見ているおれに美人だとほれぼれしてほしいとは微塵も思っていないことだ。

メイク動画をアップする人は、必ずビフォーアフターの「ビフォー」の状態から撮影を始める。
その人が男にモテたいと思って動画を上げるなら、ビフォーをアップする理由は全くない。
妻は、「動画を見てると、男性に見られるためじゃなくて、楽しいからメイクするに変わってきたのを感じる」と言っていた。

さらに感じたのは、この動画の主は、美しいものに「なる」ために動画を撮っているのではないのかも、ということだった。

もしメイク動画をアップしている人が、「メイク前と後、どちらが自分の本当の顔だと思いますか?」と質問されたとしたら。

完全に憶測だけど、だいたいの人が「メイクした後」だと答えるんじゃないだろうか。
動画から強く感じるのは、美しいものに「なる」というより、美しいものに「戻る」という意識だった。
メイク動画を見ていると、メイクが変えるものはその人の顔以上に、自己認識なんだろうなと感じる。

それこそPhotoshopやら他の様々な技術で、本物かどうかわからない画像や動画を創り上げることが可能な時代になってきて、フェイクと真実の境界が揺らいでいる昨今だけど、ある意味メイクは本来動かせないものである顔をハックしてフェイクと真実の境界を壊すものだ。

ついにはメイクによってポジティブにハックされた自己認識(が創り上げられる工程)が、ネット上で世界中の女性をさらに勇気づけるミームとなっているということこそ、このポストトゥルース時代の数少ない、とても美しいことだと思う。

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