2023年1月頭の日記

・明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
 新年早々コロナに感染しました。ろくでもない幕開けです。なんとかこれまで逃げてきたけどついに捕まってしまった。症状は軽いけどタチの悪い風邪レベルではあり、体調悪いことには変わりなし。
 数ヶ月前にチケット取ってたEXTC(=XTCの元メンバーのテリー・チェンバースがXTCの曲を演奏するバンド。現メンバー許諾済)のライブも行けなくなってしまってがっくり。これもう今世で見る機会ないでしょうね……。いやでもソールドアウトで追加公演まで発表されてたし、味をしめてまた来てほしい。
 朦朧としながら少しだけ仕事するけど頭が働かない。わりとまずいトラブルが起きてたり、わりとまずい仕事が抜けてたりもして、出社したら地獄なのが目に見えている。もう開き直って体を休めるのがベストですね。これだけ仕事を属人化させた会社が悪い。

・とはいえこうして倒れていてもその時間のぶん自分の受け取る給料が減るわけではない、という会社員の楽さをこういう時にはやはり実感する。フリーランスは自分が倒れたらその瞬間業務ストップだものね……。
 なぜこんなことをいきなり書き出すかというと最近会社を辞めた場合の人生をよく想像するからなんですが。その想像はたぶん、どこかの夫婦の片方が引き出しにお守りがわりに忍ばせている離婚届のようなものだけど。
 じっさいに判を押して出すかどうかはともかく、最近はインディペンデントな出版関連活動をしている人たちの本をよく読む。
 それらを読むだに、いつも気持ちが揺れる。上の方にも下の方にも。
 上の方はもちろん、出版という世界に「自分の手の届く範囲で」たずさわっていくことへの憧れ。自分で書いて、編んで、売る。出版という枠のなかで複数の柱を持ちながら、細々とでも多面的に持続していく活動をやっていくことにやはり憧れはある。
 週3くらいで別の仕事して日銭を稼ぎながら、残りの日は執筆しつつ、自分が世に出したい本だけを作り、書店兼作業スペースで自分が読んだ良い本と読んでないけど絶対良いだろうという本と並べて売る、なんてことで生きていけたら最高に楽しそうじゃないですか。毎日が文学フリマだ。それめちゃくちゃ疲れそうですけど。どれかひとつだと無理だけど複数組み合わせたらなんとかならないだろうか。
 下の方は、本当にそっちのルートで幸せに暮らせるかという疑い。ひとりでいろいろ企画し続けて実現させてお金を得る、という仕事が自分に継続できるのかという恐れはもちろんだけど、これはなまじ今の仕事が、内容自体はかなり向いていて好きでもあることがかえって悩みの源泉になっている。
 本業も本がらみのニッチな仕事なのだが、業務をとりまく外的状況はとみに酷くなっていて、社内的にもそんな事態に実質単騎で対処せざるを得ないような状態になっており。いくら天職に近かろうとも、さすがに使い倒され方がツラい。休日も基本育児があるしなあ……。
 今年40歳になるが、これ最低あと20年続けるのかおれ、と。ただでさえガタがきはじめた体に、近ごろはストレスで明確な悪影響が出始めている。ああ、人生折り返し地点に来ているな、という感覚が日に日に強まる。人生これでええのんかと、若く正しい時期に発散しそこねた反抗期がつぶやくのですよ。
 ただ、自分の動機を構成する成分のなかに、わりと上記のようなネガティブなものが多いことが気になってしまう。
 たとえばひとり出版社、ひとり書店。いろんな人がいる。ナチュラルな情熱でガンガン突き進んでいく人。やりたいことの論理的帰結としてそこにたどり着いた人。何もないところからいきなり始めた人。ただそういう人たちに共通しているのは、これをやって生きていくという確信があることだと思う(それしか道がない、というのも含む)。自分はその純度が弱い気がする。もともと情動が薄いたちで、自分の好きな気持ちを疑う思考回路が染みついているせいでもあるだろうけども。
 それに子供も小さいので、ひとりで仕事を始めるなら単に道楽でやるんでなく、実際問題どうやって子供が自立するまで生活を維持していくのかもきちんと考えないといけない。ことお金の心配については明らかに、会社員続ける方がせずにすむ。いやこのご時世、会社がぶっ飛んでいきなり路頭に迷う可能性もフツーにありえるでしょうが……。
 ただ出版界はどんどんプラットフォーマーに近づく超大手と、小さな経済圏で活動していくミニマムな作り手にいっそう分かれていくとは思ってて、そのなかでどういう生き方をしていくのか、この一年でより真剣に考えないとな、と思う日々です。
 でも、ひとつ確信しているのは、最終的には自分は本から離れられないな、ということ。
 「本棚を作れ、それはお前の頭の中身だ」という教育を幸か不幸か受けてきたおかげで、けっきょく本に囲まれた暮らしをしている。べつに冊数は読めてないので積んでる本ばかりだし、読む気分にならない日もけっこうあるし、自分より本好きな人はいくらでもいるだろうけど、本の周りで仕事をして、自分でも本を書き、作り、読んで生きている。平和であることが前提だけど、本のまわりで楽しく健康に生きていきたいものです。

・インターネット老人会員なので、ふとした時に「ラ・ヨダソウ・スティアーナ」とか「エル・プサイ・コングルゥ」などといった単語が頭をよぎるんですが、これらの単語の材料が気になるというか、日本人が「解読できない異言語」を考えるときに使いがちな言語の系統が知りたいなとたまに思う。
 ラはフランス語、エルはスペイン語の定冠詞だろうし、スティアーナはヒンディー語に近いような気もする。いくつかの言語"っぽさ"が混ざり合っている感じ。その"っぽさ"はどこから来るんだろう。
 それはたぶん、タモリのインチキ四カ国語麻雀がなぜ各言語っぽく聞こえ同時にインチキだとわかるのかや、ダウンタウンのオジャパメンをなぜ笑えるのかや、ドイツ語と中二病の親和性だとかの理由にもつながる話かもしれず。
 言語学には明るくないので、たぶんこういうことを書いた本もどこかにあるのかと思うけど、知ってる方教えてくださいませ。川添愛さんの本とか? 『言語学バーリトゥード』、霧隠サブロー『魔装番長バンガイスト』という傑作漫画に登場するカーネル・レイスというキャラの異常英語について割いた回があると聞いて、ずっと読みたいなと思ったまままだ買ってないんですよね。

カーネル・レイス氏の勇姿。キャン(可能)。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?