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彼女と私の共同作業 その1

会話集づくり

(1988年)6月3日。
手作り製本を終えてすぐ荷作り。A4版の薄い冊子でも、100部まとまると予想以上に大きな包みとなる。外は雨。でも明日までなんて待てない。

2歳の薫がトイレでオシッコして「あかあさん、でたよ!かおる、おきたよ(できたよ)」と嬉しそうにまっすぐ報告にくるように、私も完成の興奮を押さえるすべを知らない。
宅配便で長野の広沢里枝子さんに送ったらホーっと気が抜けちゃった。

前年の秋頃だったろうか。
「婦人之友の幼児期グループに提出する発達報告が、校正できないまま、たまりにたまってしまった。できたら、朝ちゃんに目を通してもらいたいのだけど…」と彼女からの便り。
届いた厚いカナタイプの報告には、生活記録と共に、“アキノオシャベリメモ”と題した会話記録があり共感しつつ校正させてもらった。

このままにしちゃうのもったいないなぁと思っていたところ
彼女から「親バカぶりを笑われるだけかも知れないけれど、私たちを支えてくれる人たちへの感謝と、これから知り合っていきたい人たちとのコミュニケーションの充実のために、アキノオシャベリメモの1987年版というのをつくりたい」という望みを聞かされた。
いいと思った。
すごくいい夢だと思った。
彼女の夢に便乗させてもらう形で会話集づくりが始まった。

カナタイプ原稿が届いてから編集が終わるまでのことは、「編集後記」に書いたように、なかなか進まず、気持ちをためて高まるのを待つといった心境。
会話をピックアップし、手書きの原稿を書き終える。念の為、山根さんに校正してもらう。
近所の電気屋のコピー機で印刷。紙を折ってとじる。あとは単純な作業で、一息につくってしまった。充実していた。

半歩外に


子どもとの暮らしは喜びの多い日々である。特にこの頃は、自分でも不思議なくらい安定している気がする。

それでもなお満足しきれないのである。
いつもと同じ場所で、いつもと同じ人の間で、波がくり返すように行ったりきたりして、何といって残るものはない…。そんなふうに空しくなる時があって。
だけど、大きく生活を変えていく勇気はなくて。子育てと深くかかわりながら、半歩外に出る機会を持ち続けられたらいいと思う。うまくいえないけれどそんな気がする。

里枝子さんから、6月4日付けの便りが届いた。
「嬉しい」とあった。「前からお話していたように、これを隣人とのコミュニケーションの充実に役立てたいということはもちろんだけれども、失明への不安に押されて過ごした青春時代、仕事をもってもどこか自信が持てず、失明してやっとどこか安心できたかと思ったら、今度は子育てに対する自信のなさ…。無我夢中に過ぎた1985、86年を越えてはじめて、やっと落ち着けるようになった1987年。この思い出深い年を一年半に渡る朝ちゃんとの製作の思い出とあわせて、いつまでも大切にとっておける。そんな幸せな想いが胸をひたしています。」と書かれていた。

「ヤッター! ヤッタゾ!!」
という興奮の後でしみじみと嬉しさをかみしめる。

「この会話集を10号まで出せたらいいなぁって空想しているの」というお手紙に「やろう! きっとやれるよ」とうなづく。

彼女と私の共同作業がどうふくらんでいくか、とっても楽しみだ。
「おかあさん木があかくなってきたよ」にどんな反響があるのか。
子を社会に出す親の心境ってこういうものかも知れないな、などと思いつつ。

1988年6月 「ひとりから9号」収録


本文p.14〜15



あきとまさきのおはなしのアルバム ’87 第一集
おかあさん 木が あかくなってきたよ』

『ハジメニ』 ヒロサワ リエコ


 "オカアサン、キガ、アカク ナッテ キタヨ"、コレハ、ナカニワノ ケモモノ キヲ サシテ、チョウナン アキガ、ソノ メブキノ ヨウスヲ、 ワタクシニ オシエテ クレタ コトバデス。 

 コレヲ キイタ トキ、 ワタクシハ ハジメ、 ナンノ コトカ、ワカリマセン デシタ。 ケレドモ、 キガツイテ、 コドモタチト イッショニ、ニワヘ ハシリデテ ミマスト、 ソコ ニワ、マルデ カラダジュウ カラ、 イノチガ フキダシタ ヨウニ、 タクサンノ ツボミヲ カカゲタ エダガ、ノビノビト ハリダシテ、コガラシノ ナカ、ユレテ イマシタ。
 ソノ ヨウスハ、 セイチョウノ メヲ タクサン モッタ、オサナゴタチ ニモ ニテ ミエマシタシ、 フユヲ ノリ コエテ、ミゴトニ フッカツ シタ、ソノ アカイ キノ イメージハ、コドモタチノ アカルイ カンセイト トモニ、ワタクシノ ムネニ、ヤキツイタノ デス。

 コノ ヨウニ、ココニ オサメ マシタ カイワハ、ワタクシタチニ トリ マシテハ、ヒトツ ヒトツ、ワスレ ラレナイ オモイデノ アル モノ デス。 
 オサナイ モノ タチノ、タアイナイ コトバノ メモニ スギマセンガ、オタガイニ オモウ ヨウニ ナル コト バカリ デハ ナイ、コソダテノ ナカデ、コドモタチト トモニ ナニカヲカンジアエタ、 ソノ シュンカンガハ、オモイガ アフレテ、カキトメ ナイ デハ イラレズ、イツノ マニカ メモハ、フエテ イマシタ。 
 
 コノ ザッタナ メモヲ、 セイリ シテ マトメ、スミジヤク カラ、インサツ、セイホン マデ、スベテ ヒキウケテ、ワタクシヲ ハゲマシテ クダサッタ、ダイガク ジダイ カラノ ユウジンノ カミヤマ サンニ、アツク カンシャ シマス。 アリガトウ。

 コノ、ササヤカナ コトバノ アルバムヲ、ヒゴロカラ、ワタクシタチヲ ササエテ クダサッテ イル カタガタニ、ココロ カラノ カンシャヲ コメテ、オクラセテ イタダキ マス。
 ソシテ、コレラノ オモイデノ タバガ、アキト、マサキノ ムネニ、ヒカリ ナガラ、シズンデ チッテ、 イツノ ヒカ、ソノ フカイ トコロ カラ、カレラヲ アタタメル モノノ ヒトツト、ナッテ クレ マス ヨウニ。

『編集を終えて』神山朝子


 年が明けて間もなく、一〇〇編を超す会話の原稿が届いた。信州と関東と離れていても、思いは変わらず近くにあった里枝ちゃんと私の、久しぶりの共同作業の始まり。ワクワクしていた。でもなかなか手につかなかった。
 カナタイプで、ていねいに集められた会話はどれも、読む人を意識しない、飾りのないことばで書かれ、なにげない感情のやりとりであるが、不思議なほど生き生きとして光っている。鮮やかに心に残る。胸を打たれる。どうしたらそういう感動をこわさず、移しかえられるか、カナタイプのままの方が伝わることも多いのではないか、迷ってなかなか進めなかった。
 ある時「おはなしのアルバム」という副題を得て、急に楽になった。写真整理が好きな私である。ありのままに写されたものをあきず見返して、並べたり、思い出したり、また再発見したりで、楽しむように、この会話集づくりを手伝ってみようと思った。てらいがなくなった。

 里枝ちゃんとのつきあいは、10年を超えた。彼女の事を想う時、こんなことばが浮かぶ。
 "何に 余儀なくされるものでもなく
  自分の思いを ほんとに単純に
  ほんとに 熱心に 生きる"
 ある本にみつけ、私も こんなふうに生きたいと、つよく つよく 胸に きざんだ ことば。
 視力がだんだん落ちて、自分が感じる以上に まわりから問題視されることも多いと思う。生活する上や人と交わる上での困難は、のりこえてものりこえてもきりがないことであるだろう。
 けれど、彼女は、時には楽天的に、またひたむきに、そして常に人への熱い共感のこころ、信頼のこころをもって、希望を抱き続けられる人だと、私は信じている。

追記:初版から35年

早いもので初版から35年の長い時間が経ちました。

「おはなしのアルバム」1集〜4集は、多くのボランティアの協力を得て増刷され、たくさんの人たちに読んでもらえました。

デイジー図書(音声版)にもなりました。

子育て中の若いお母さんや、見えないお父さんやお母さんへの応援メッセージとしても発信してきました。

里枝子さんは、「おはなしのアルバム」をじぶんの声で録音したいと次なる夢を語っています。

そして、私たちは「一冊の本として出版できたらすばらしいよね」と何度も話し合っています。
現実的には難しさもありますが、あきらめていません。

なぜなら、この会話集は荒削りではあるものの、時代も地域も障害のあるなしも超えて、普遍的な共感力を秘めているからです。

彼女と私の共同作業は、これからどんな花を咲かすのでしょうか?


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