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大阪ひとり旅
大阪ひとり旅【前編】シアワセハアルイテコナイ
#隠し部屋
「2022・夏草」収録
玉置浩二35th ANNIVERSARY
LEGENDARY SYMPHONIC CONCERT 2022 "Arcadia -理想郷-"
【指揮】田中祐子 【管弦楽】大阪交響楽団
3月2日(水)大阪フェスティバルホール18:30開演
念願のコンサートに行くことができました!
この人の声を生で聴きたい! と思ったきっかけは、YouTubeでたまたま聴いた『行かないで』という曲です。安全地帯も玉置浩二も元々のファンではなかったけれど、彼の声は私の心の琴線を、ふるふる・ゆさゆさ揺らしてきて、気づくと泣かされてしまうのでした。
詳しいことは知りませんが、病気で歌えない時期もあって、そこからの復活と聞きました。今は歌うことだけをストイックに追い求める生活を送っているらしい。1958年生まれで63歳。年齢も同じとなれば、「いつか」を待っていては間に合わないかもしれない。チャンスを逃したくない! という強い気持ちが湧き上がってチケットを申し込むことにしたのです。
ところが公式の抽選はどれも落選。諦めきれず、ネットのチケット売買業者の大阪公演チケットに恐る恐る申し込むことに…。
チケットはちゃんと届くのか? 受付を通過できるのか? コロナの状況は? 不安でいっぱいです。開催が決定になりチケットが無事に届いた時は、安堵のため息をつきました。そして迎えた久しぶりの長距離ひとり旅。初めての大阪。ずっと緊張していたせいか、会場の椅子に座った段階でほぼ完結の感。座席は前から7列の左端でしたので、玉置さんの舞台上の表情も、袖に向かって歩く姿もよく見えました。
指揮の田中祐子氏はチャーミングで、踊るように滑らかな動きに目が奪われました。フルオーケストラの重厚な音楽に玉置さんの圧倒的な歌声が調和して…。想像以上の感動に包まれました。
『行かないで』のイントロが流れてきた時には涙が溢れました。離別の悲しみをうたう歌詞の中に「♪いつか 心はいつか 遠いどこかで みんな想い出になると 知らなくていいのに」という一節があって、愛しさが胸に染み込んでくるのです。愛する人のぬくもりをずっと留めたいと願うのにそれは叶わないと悲しむ心…。でも、立場が反転して、去って行かなければ(逝かなければ)ならない側に立つと、それは希望かもしれません。「いつかは喪失の悲しみを思い出にできる日が、きっと自分の愛する人にも訪れるはず…」と思えたら、救われるのではないでしょうか。
2700人満席のスタンディングオベーションは圧巻でした。アンコールを求めて鳴り止まない拍手に、玉置さんはマイクを置いて生の声で歌い上げてくれました。
フェスティバルホールを出て雨上がりの肥後橋を渡りながら、「連れがいればこの感動を分かち合えるのになぁ」と少し淋しくなりつつ、思いはことばに変換されずにただふわふわと漂っていました。
やがて「これも悪くないな。うん、むしろ、これがいい」というところに落ち着き、ビジネスホテルのシングルルームでスパークリングワインを開けて乾杯。わざわざ大阪まで来た甲斐があったと充実感に浸りました。ふと口をついてでた歌は…。
「♬しあわっせはー あるいってこないー だーからあるいてゆくんだよー♪」
水前寺清子の1968年にヒットした曲「三百六十五歩のマーチ」でした。
なんとまあ古いこと…。
しかも玉置浩二じゃないんかい?!
翌朝は、中之島図書館内のカフェ「スモーブローキッチン中之島」で朝食。中央公会堂の歴史的建造物の見学ツアーに参加してから、堂島ロールで有名なパティスリーモンシェール堂島本店を覗き、大阪駅で本場のたこ焼きを食べて、初大阪を満喫。感染予防のために奮発したグリーン車はガラガラで、まるでご褒美のように富士山が美しい姿を見せてくれたのでした。
ところで、中央公会堂を眺めていた時のこと、ふと、読んだことのある小説にこの場所が登場したかも…と、微かな記憶が蘇りました。その偶然の一致にコンサート同様に興奮したのですが、長くなるのでその話は後編で…。
大阪ひとり旅【後編】ダーカラアルイテイクンダヨー
#隠し部屋
「2022・夏草」収録
念願のコンサートを堪能した翌日、私は、中之島にある大阪市中央公会堂の見学ツアーに参加しました。大阪出身の友人から「中之島のみどころといえば歴史的な建物群ですかねぇ」とお聞きして、事前に申し込んでおいたのです。
「大阪市中央公会堂は、ひとりの大阪市民、岩本栄之助氏の寄附をもとに1913年(大正2年)に着工し、1918年(大正7年)に竣工しました。以来1世紀近くにわたって国際的な一流アーティストによるオペラやコンサートの他、各界著名人の講演会も数多く開催されるなど、大阪の文化・芸術の発展に深く関わってきました。」(中略)「中之島の景観に欠かせない美しい外観と内部意匠が歴史的建築物として極めて重要であるとの高い評価を受け、2002年(平成14年)12月、公会堂建築物として西日本で初めて、国の重要文化財に指定されました。」(大阪市中央公会堂ホームページより引用)
ツアーが始まるまで時間があったので、私はのんびりと中之島の遊歩道を散策したり、中之島図書館の中を見学したりしました。中之島図書館も1904年に建てられた神殿のような美しい外観の建物で、とりわけ円形ドームのステンドグラスから柔らかな光が注ぐ木製の螺旋階段が印象的でした。
バチカン美術館の螺旋階段は吸い込まれそうな怖さがあったけれど、ここの階段は木の温もりでおおらかに包み込まれるような優しさを感じました。2階奥には素敵なカフェ「スモーブローキッチン中之島」もあり、今もなお現役の図書館として市民に愛されているなんて、図書館好きとしては羨ましい限りです。
ところで、カフェで朝食を食べてから、中央公会堂のネオルネッサンス様式の美しい外観を眺めたり、無料の見学エリアを見て歩いたりしている時のこと。ふと、記憶の底からかすかに浮かび上がってくるものがありました。既視感のような何か…。
「ここって歴史的な瞬間の舞台として、小説で読んだ気がするんだけど…?」
「もしかして『橋のない川』…?」
ネットで思い当たるワードを検索したら、ビンゴ!! やはりそうでした。
偶然の再発見にテンションが上がったことは言うまでもありません。
その記述は、ある映画鑑賞ブログの中に見つけました。
「大正11(1922)年、秀賢の提唱する《部落改善運動》は融和団体「大日本平等会」へ合流していく。だが、同年2月21日、その発会式(場所:大阪市中央公会堂〈通称:中之島公会堂〉)に参加していた被差別部落の多くの人々は、“一般国民の部落民に対する同情・融和を呼びかける”同会の本質を見破っていた。
秀昭(※西光万吉)を始め、真の部落解放を願う人々によって、「部落民の自発的運動」の必要性を訴えるビラが、大量にばら撒かれる。それらは、あと10日後に迫った「全國水平社」創立大会開催を案内するビラだった。飛び交う怒号!紛糾する会場!大日本平等会発会式は、まさに全国水平社創立の宣伝の場と化す。」
(「普通人の映画体験―虚心な出会い」という映画解説ブログの2019年の記事。
「映画『橋のない川 第二部』」より引用)
見学ツアーでは、まず展示室にて公会堂が歩んできた歴史が紹介されました。それからエレベーターで場所を移動して、部屋そのものが芸術品といわれる特別室を案内してもらいました。和テイストなステンドグラスや天井画、カーテンの意匠など見応えがありました。11時からのツアーは5人の小さなグループでしたので、スタッフとの会話も弾み和やかな雰囲気でした。
私は、見学ツアーのスタッフに先ほどの映画鑑賞ブログを見せて、確認してもらったところ、
「そのような史実は存じませんでしたが、場所はここに間違いありませんね。中集会室はイベントのない日でしたら見学可能ですが、今日は卒業式をやっているのでご案内できないのです。」と残念そうに話しておられました。
見学ツアー後、参加者全員へのプレゼントで中集会室の絵葉書をいただきましたが、「飛び交う怒号!紛糾する会場!」という歴史の一場面がにわかには信じられないくらい、まるで宮殿の大広間のような煌びやかなホールでした。
帰宅したら早速小説を読み直してこの場面を探してみようと思いながら、新大阪発のひかりに乗り込んだのが2022年3月3日。
それは奇しくも、全国水平社創立大会が京都の岡崎公会堂で開催された1922年(大正11年) 3月3日の、ちょうど100年後のことでした。
「宣言 全国に散在する吾(わ)が特殊部落民よ団結せよ。」で始まる水平社宣言は、日本初の人権宣言とも言われています。後半はあの有名なことばで結ばれています。
「(中略) 吾々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦(きょうだ)なる行為によつて、祖先を辱(はずか)しめ、人間を冒涜してはならぬ。そうして人の世の冷たさが、何(ど)んなに冷たいか、人間を勦(いた)はる事が何(な)んであるかをよく知つてゐる吾々は、心から人生の熱と光を願求礼讃(がんぐらいさん)するものである。
水平社は、かくして生(うま)れた。
人の世に熱あれ、人間に光あれ。」
後日談ですが、3月に大阪に行って以来『橋のない川』(住井すゑ・著)を読み進めていました。明治の後半から昭和初期までの日本を描いた全7部の大河小説で、初版は1961年、7部が完結したのは1992年・著者90歳です。
物語の中心となる畑中一家の人物表現、やまとことば、暮らしぶり、大和の自然の描き方がこまやかで魅力的なのです。私は、ぬいお祖母やんのおおらかさと孫の孝二に特に惹かれて読みました。「うつむいて咲く胡麻の花のような」少年・孝二の成長が物語の軸となっています。
私が好きなのは1部と2部ですが、米騒動から水平社宣言へ、解放への気運がうねりのように高まっていく6部はやはり圧巻です。理不尽な差別に苦しめられてきた人々が、「人の世に熱あれ、人間に光あれ。」を自分自身の腹の底からの叫びとして、希望を抱いて団結していく様子が、リアルな筆致で克明に描かれています。
西光万吉ら水平社を立ち上げた人たちのその後の変節、部落解放運動の分裂、天皇制の問題、同名の映画への上映阻止行動など、立場の違いによって『橋のない川』の評価は様々のようですが…。でも作者が一貫して描こうとしたものは、人間への信頼と賛歌だと私は感じています。
今年の秋に、夫とふたりで奈良へ少し長い旅行をすることになっています。薬師寺の日光月光菩薩にお会いしたいというのがそもそもの始まりです。
水平社運動の出発点となった場所に「水平社博物館」が建っているそうですので、そこへも足を伸ばしてみたいと思っています。小説の主人公の誠太郎、孝二兄弟が暮らした大和盆地を歩いて「やまとうるわし」の風景を肌で感じてみたいものです。