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彼女と私の共同作業 その3


『おはなしのアルバム第三集』のこと


『あきとまさきのおはなしのアルバム '89第三集
キューちゃんのおかお わんわんみたい』

記録 広沢 里枝子
編集 神山 朝子
選・校正 宇野 孝子
製本・印刷 小宮山印刷
点字版製作 「でんでん虫の会」
発行人 広沢 里枝子
初版発行 一九九〇年十月一日
第二刷  一九九一年二月十五日

第三集の表紙

編集後記『白山に乗って』 神山朝子


 里枝子さん。あの海、真夏の内灘での歓声が、聴こえてきますね。初めて海に触れたというあき君とまさき君は、目を輝かせてその大きさに畏れ、潮の苦さを味わっていました。薫は波に乗り「すべりだいみたい」とはしゃぎ、圭も「イーッパイ!」を連発。でも、誰よりも興奮していたのは私達ではなかったかしら。波打ち際に腰をおろして「来たネ、とうとう来たネ。海だって、ほらっ、来ちゃったじゃない」と、いつまでも笑い合って…。

 八月六日、私達は白山一号に乗り込んで、揚々と金沢に到着。森直弘先生のお宅に三日間滞在させて頂き、僅かな時間も惜しんで、先生とお話をしました。
 瞬間瞬間が貴重でした。先生のことばの重み、まなざし。私には夢のような時間でした。あれから一か月、旅の意味を思い返す日々が続いています。

 「幼い子をかかえて、なぜ無理をしてまで。もう少し待てば、楽に行動できるのに」という内外の(自分自身の)声を、不言実行で跳ね返そうとした旅。キューちゃんと子供達がまきおこす、珍事件と珍道中の数々。北陸の人の温かさ。
 「朝ちゃんにとっての銀河鉄道が森先生だと思うから、私はカムパネルラを恋うジョバンニのように、どこまでも一緒に行きたいと願っていたのだと思います」と言ってくれた里枝子さんのこと。
 それら全てが、私を力づけてくれます。きっと、ずっと永く。

 そういう訳で、『おはなしのアルバム』第三集にも楽しくとり組んでいます。今日は、表紙。あき君の絵、力があっていいですね。
 ただ、もとの絵には「うしのえ」と記されており、表紙に使うのはどうかと迷っていました。すると長男が、確信に満ちて「ワンワン!」と。幼児の目を信じてみます。

 でき上がって何度も眺めていますと、慈しみ深い表情が、キューちゃんにだぶってきました。子供が好きで、泣いていると心配して慰めに来てくれるキューちゃんには、風に踊るシャボン玉と、穏やかな紫色が似合う気が、私にはするのですが、里枝子さんはいかがですか?

『あとがき』 ひろさわ りえこ

 こどもたちの みている ものなら、わたしも みえている きがして、かれらが そばに いると、わたしはみえないと いうことを すっかり わすれている。こどもたちの はずんだ こえ、きけば わたしも きもちが はずんで、こえの ひびき、かぜの おとまで みみのそこから はなれない。
 いちにちの おわりに、てんじばんで ポツポツと メモを とりながら、おおきくなって てれくさそうに これを よむ こどもたちのかおを おもいうかべると、なんとも たのしい。

 おとなに なっていく かていで、だれもが けいけんするように、ふたりも いつかは じぶんの いのちのかちを たしかめたくて、くるしむ ときが くるのかもしれない。
 そんな ときも、こうして キュリーや おじいちゃん おばあちゃん、みんなに まもられて そだった ひびの おもいでが、かれらを あたためてくれたらと ねがわずに おれない。

 ただ、なかには わたしの しょうがい ゆえとも いえる、しんどい できごとも ある。こんな おもいでは、こどもたちに のこさないほうが いいんじゃないかと まよいながら、やはり ぬきとらずに おいた。
 たぶん こどもたちは、わたしたちの げんかいを こえて、ちがった じんせいを あゆんでくれるとは おもう。しかし、もんだいに ぶつかったとき、わたしたちが どう かんがえ、どう のりこえたかと いうことを、どうどうと つたえられるなら、かえって おたがいに とって、だいじな ことではないかと、こどもたちの せいちょうと ともに、かんがえるように なった。

 それでも、「こどもたちの ために」と いうことならば、なにも ほんにする ひつようは ないのかも しれない。
 でも、やはり ほんにして、よんで くださる かたが あるなら、そのかたに つたえたいと、いうおもいが わたしには ある。
 わたしは、わたしと わたしたち かぞくの いまを、きりひらいて いくために、わかりあえる ひと、みかたに なってくれる ひとが ほしい。
 どこへ いっても つうかんするのは、しょうがいしゃと けんじょうしゃが、いかに おたがいを しらないまま そだてられ、その ゆがみに きづけないほど、あらゆる ばめんで わけられて しまっているかと いうことだ。
 だからこそ、じぶんから ひとを もとめ、ひとの なかへ とびこんで いかなければと おもう。
 けれど、おおぜいの なかに いても、こえを かけて くれる ひとが なければ、どこへ むかって はなしかけて いいのかも わからない、これが わたしの げんじつ。まちを あるく とき、あしおとが ちかづいて くると、「こんにちは!」と、なるべく げんきに いってみる。でも、だまって とおりすぎてしまった ひとは、だれだったのかさえ わからない。
 それだけに、わたしに とって 「おはなしのアルバム」という、じぶんから さしだせる うでと、ささえてくれるなかまと ここに たちどまって よんでくれる ひとびとが あることは、ほんとうに こころづよい。

 ふりかえって みれば、このちいさな かいわしゅうを つくりはじめて、たった さんねん。なのに いろいろな ことが かわった。
 「おはなしのアルバム」の てんじばんを よんでくださった、ある おかあさんが、 「よく そんなに れいせいに こそだてが できますね。わたしなどは、ただもう むがむちゅうな だけでした」と、かんそうに かいておられて、とびあがりそうに びっくりした ことがある。
 アルバムだけを みていると、わたしが、まるで いらだちや とまどいをしらない、こそだてじょうずの おかあさんのように、うつって しまうらしい。「とんでもない!わたしだって…」と、てがみを かいて、いまでは せんぱいの かのじょから、なにかと おしえて もらっている。

 じっさい、きろくを かきはじめた ころ、わたしは、ははおやとしての じしんを なくしそうだった。こどもたちが あまりにも ちいさくて、あぶなくて、ちょっとした きょうだいげんかでも、わたしには ようすが わからないものだから、「もし とりかえしの つかないことにでもなったら…」と、そのたび おびえた。
 だからこそ、こどもたちの かがやくような ことばは、わたしの すくいだったし、かきとっては なんども よみかえして、その ことばの あかりを たよりに、こどもと じぶんを しんじようと、けんめいだった。

 いま、いくらかでも おちついて こどもとの じかんを たのしめるように なれたのは、こどもたちの うちから あふれる、せいちょうの ちからと ことばに、みちびかれた おかげだと いう きがする。
 このかん、みぢかに ともだちも できた。げんかんを ひなたぼっこの ばしょと きめていた キュリーさんには、もうしわけないが、げんかんは ちゃんと げんかんの やくを、はたすように なったし、わたしは まいにち いそいそと ゆうびんうけを ひらく。

 あさこさんに おくって もらった だいいっしゅうを、かのじょの ての ぬくもりを かんじながら、ずっと おともだちに なりたかった ひとに、てわたして いった あのころ。
 ほとんど みちの かただっだ うのさんに、おもいきって きょうりょくを おねがいして、こころよく ひきうけて もらえた ときの うれしかったこと。
 あれから また おもいでが いっぱい。あさこさん、うのさんとは、はなすたび、てがみを もらうたび 「ああ、わかって くれてる」と かんじられて、アルバム たんじょうまでの じかんは、わたしにとって ほんとうに じゅうじつした ものだった。

 ここに ゆうじんたちから もらった ことばも、これからずっと、わたしを ささえて くれると おもう。
 いわした さんの ぶんしょうは、いただいてから はんとし。「わたしも わたしの ちからを だしおしみすることなく…」と いう ことばは、かのじょ そのものと いう きがするから、いつも おもいだして げんきを もらって きた。
 「リラのかい」に きんちょうしながら、せいほん いんさつを おねがいしたのも、かんがえて みれば、みんなに おあいして、まだ さんどめくらいの ときだった。
 いまでは、かいいんとして、みんなと いっしょに かつどうする なかで、このまちが なかまの いる 「わたしの まち」と おもえる。
 こんかいの だいさんしゅうでも、かいいんの みやした しずえさん、あらい まりこさん、こばやし よしこさんを はじめ、みなさんに たすけて いただいている。

 「でんでんむしのかい」の みなさんにも、このごろ やっと あいにいけるように なった。だいにしゅうでは、はじめての パソコン てんやくで、ごくろうを おかけしたのに、こんかいの てんやくも、たのしみに して くださって いる。
 いけるように なったと いっても、さんじには こどもたちが かえってくるので、あわてて バスに とびのらなければ ならないが、こうして あいたいひとに あいに いける ことも、また とんで かえって やらなければ ならない、こどもたちが いることも、ともに うれしい。

 わかい みえない おかあさんや、めの びょうきの ことで、ふあんを いだきながらも、がんばって いらっしゃる かたがたとも、ぶんつうが はじまった。
 さきに おなじ けいけんを したと いうだけでも、なにかしら ちからに なれることが あるようで、うれしい。しんどい けいけんほど、より ふかく だれかと であえる ための、みちしるべだった ことに きづかせて いただいた。


 そして、この カナがきの あとがきを ふくめて、さいごまで およみ くださった どくしゃに、こころから かんしゃしたい。

 きろくのように、ぶんしょうを そうさくしていく ひつようの ない ものの ばあいは、うのさんに おしえて いただく たび、かんじへの しんせんな きょうみを かんじながら、てんじから ゆっくりと、かんじカナまじりぶんに なおして いる。
 ところが、ぶんしょうを つくると なると、てんじの ばあいの しゅうせい、かひつの むつかしさや、ワープロの カナかんじ へんかんの わずらわしさに ひきずられて、おもうように ぶんしょうが はこばない。それで、ゆうじんたちへの てがみは、カナでいいよと いって もらっている。

 じぶんで、ふつうに ぶんしょうが かける ことは、もちろん たすかる。でも、いちばん かきやすい ほうほうで、おもった とおりに かいて、それを ごく しぜんに うけとって もらえる ふんいきが ひろがって くれたら、だれでも もっと じゆうに ひょうげん できるように なる きがする。
 どくしゃの みなさんは、よみづらかっただろうか。
 わたしは、どくしゃに おもにを はんぶん せおって いただけたから、らくに すなおな きもちで、この あとがきを、かきおくる ことが できた。

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