
小説 高校生戦隊ヒーローズ 16. 政治経済の授業1
少し間が開いてしまったが、今日は4月第1週、初回の政治経済の授業について書こうと思う。
政治経済の担当は歴史学と同じ柴田先生だ。
僕は、初回は大日本帝国憲法についての講義だと予想していた。国の最高法規であるし、歴史学では五・一五事件を扱ったところだ。事件後に精力的に動き出した犬養毅首相が成し遂げた大幅な憲法改正、歴史学の授業と関連させた授業を展開するのではないか、と思ったのだ。
だが僕の予想はいい意味で裏切られた。
授業の冒頭、先生はこう話し始めた。
「僕の歴史学の授業では、歴史の時間の流れとは無関係に、現在に大きく影響している事件や事象、時代から順に取り上げていく、現代に与える影響が大きい事象ほど深く掘り下げていく、とお話しました。政治経済も同じ方針で授業を進めようと思います。」
つまり僕たちに身近な話題から順に取り上げる、僕たちに身近な話題ほど深く掘り下げる、ということだろう。
「市井に暮らす一般の人々にとっては経済、特に各地の産業や気候、政治では憲法や民法がもっとも身近な話題、ということになるでしょう。もちろんきみたち士官候補生にとってもこれらが身近な話題であることは変わりありませんが、きみたちにはまずこの法律をよく理解してもらいたいと僕は考えています。」
そう言って先生はチョークを取り、黒板の中央に大きくこう書いた。
国防委員会設置法
「今日はこの法律について考えてみようと思います。では、滝川の後ろのきみ、名前は?」
柴田先生の授業はまだ2回目だけど、そのスタイルはたぶんこうだ。
最初に今日のテーマを掲げ、それについて僕たちの知っていることを話させる。そこからキーワード、キーポイントを拾い上げる。その後、足りないキーワード、キーポイントを先生が追加した上で、そのキーたちの関係を組み上げていく。組み上げていく過程の説明も巧みだけれど、最初に僕たちに話をさせることで単なる授業の聞き手になるのではなく主体的に授業に参加するように仕向け、さらに僕たちの知っていることを拾い上げてそれを起点に説明をしていくことで、僕たちの興味を惹きつけているのだと思う。
最初の授業では、授業の最初に先生とコミュニケーションをとった僕と七瀬を指名した。
今日は、僕の後ろの列の生徒に話させることにしたようだ。
後ろの席の田代が立ち上がる。
「はい、田代です。」
「では田代、きみが知っている範囲で構わないので、国防委員会、または国防委員会設置法について話してみてください。」
「はいっ!えーっと・・・滝川、なんか知ってる?」
少し前かがみになって小さな声で尋ねてくる田代。僕は田代を振り返る。
「そうだね、とりあえず3つ。1つ目、国防委員会は軍の上位機関である。2つ目、メンバーは12人で、内閣総理大臣、外務大臣、衆議院議員10人である。3つ目、軍は国防委員会に逆らえない。どうかな?」
「サンキュー!」
僕の小声のアドバイスに田代も小声で返し、僕が言ったことをそのまま繰り返す。うん、棒読みだ。
「そのとおりです。滝川。」
小声でこそこそやりとりしたけれど、先生にはばっちり聞こえていたようだ。「あはは・・・。」と乾いた笑いを浮かべる僕と田代。
「では田代、着席してください、次は、隣のきみ、名前は?」
田代の右隣、二ノ宮が立ち上がって名乗ると、先生は二ノ宮にも同じ質問をした。二ノ宮も政治はあまり得意でないようだ。僕の方を見る。ただ、僕と彼の席は間に通路を挟んで斜めの位置にあるので少し離れている。こっそり聞くのは難しいと判断したらしい。田代と同じように前の七瀬にこっそり聞いている。聞かれた七瀬の回答は、
「えーっ、俺が知るわけないじゃんよ。」
だった。この前の歴史学の授業中の「明治時代より後は戦争以外はつまらないから知らない」にしろ、今の発言にしろ、七瀬は先生の前でも忖度なくぶっちゃける。ここまで潔いとそれはそれで好感が持てる気もするが。
「滝川、なんかある?」
と、七瀬は僕の方に顔を向けて聞いてくる。
「えっ、重要ポイントはもう田代に話しちゃったよ、そうだねえ、あと言うとしたら、憲法改正よりも前に成立した、ってことくらいかな。あ、この法律も犬養首相の肝入りね。」
七瀬が声を潜めることなく聞いてくるので、僕もつい普通の声量で答えてしまった。もうクラス中に丸聞こえだ。
「だ、そうです。」
と締めくくる二ノ宮に、クラスのみんなが笑い声をあげる。
先生も笑っている。
「滝川、他にはまだありますか?」
おお、指名されちゃったよ、このままじゃ伝言ゲームが続くと思ったのかもな。僕は起立する。
「もう細かいことばっかりになっちゃいますけど。
国防委員会の委員長が内閣総理大臣で、副委員長が外務大臣。
10人いる委員は全員衆議院議員の中から選ばれて、各委員が全国に10校ある国立士官学校の理事を兼任しています。僕たちが通っているここ、帝都第一士官学校の理事は、10人の中の筆頭、菖蒲小路(あやめのこうじ)議員です。」
僕がそこでいったん区切ると、クラスのあちこちで「へえ」とか「そうなんだ」とか「あ、入学式の祝辞のオジサン」とか言った声が上がる。
祝辞のオジサン・・・間違っちゃいないけど適切な表現とも言い難いよなあ。
「五・一五事件、前年に勃発した満州事変などにみられるように、軍が政府の意図に従わない行動を取ったり、暴走したりすることを許した反省から、国防委員会には軍を統制する絶大な権限が与えられています。戦場や現場での作戦行動の立案、実行の権限こそ軍の将官にありますが、そもそも国防委員会が派兵を許可しなければ軍を動かせませんし、攻撃やロックオンなどの敵対行動の実行も国防委員会が禁止することができます。派兵先で『待て!』と言われる可能性があるんですね。まるでワンコです、ポチです。」
僕が軽口をたたくとみんながあははと笑う。
「さらに国防委員会は撤退命令を出すことができます。これらすべてに軍は逆らうことができません。逆らった将官はクビです。また委員会の決議に関しても要件が定められていて、明確に軍事行動を抑制しようという意図が見えます。たとえば、国外の派兵に関しては全会一致が必須となっている一方で、撤退に関しては過半数の賛成で良いとされています。」
僕はここで息をつく。
「国外派兵の場合でも、戦地に行く場合と人道支援の場合で要件が違うとか、いろいろあるみたいですけど、細かいことは知りません!以上です。」
そう言って一礼して席に着くと、柴田先生が大きく頷いた。
「たいへん正確でわかりやすい説明でした。ありがとう。」
先生は黒板に書かれた国防委員会設置法、の単語の周囲に僕たちが挙げたキーワードを書いていく。内閣総理大臣(国防委員長)、外務大臣(副委員長)、国防委員(衆議院議員)、士官学校理事、軍との関係、決議要件、全会一致、過半数、3分の2以上、国外派兵、国内派兵、人道支援、災害派遣、大日本帝国憲法、旧大日本帝国憲法、成立は憲法改正よりも前。
「要点は滝川の言ってくれたとおりですが、決議要件などの細かい点も含めて、もういちど僕から説明しましょう。」
そして先生は板書したキーワードを使いながら国防委員会設置法の詳細を説明し始めた。国防委員会の目的や存在意義、権能、機能、実例を交えての運営のされ方などの説明を通して、委員会の実務や果たしている役割が、明瞭に描き出されていく。
「この国防委員会設置法は、憲法改正よりも先に議会で可決されました。なぜ、憲法改正よりも先に実施されたか、分かりますか?二ノ宮。」
二ノ宮は立ち上がる。
「憲法改正は、普通の法律よりも成立させるための要件が厳しいから、だと思います。」
憲法改正には衆議院、貴族院の双方で3分の2以上が出席し、3分の2以上の賛成を得なければならない。
<注>
日本国憲法の改正には、衆議院、参議院で3分の2以上の賛成を得ることに加えて、国民投票で過半数の賛成が必要だが、大日本帝国憲法の改正手続きを定めた73条では、国民投票は必要とされていない。
「そのとおりです。憲法改正を待たずに成立させたかった。なぜでしょうか?」
「一触即発というか、軍がまた暴発する恐れがあったから、一刻も早く抑え込みたかった、ということでしょうか?」
二ノ宮の答えに先生は満足そうに頷いた。
「そのとおりです。軍の一部の将校の行動とはいえ、すでに首相殺害を試みるような実力行使に出ていましたから。犬養首相は最短で軍を抑え込む方法として、憲法はいったんそのままに新たな法律、国防委員会設置法を成立させるという決断をしました。」
先生は続ける。
「大日本帝国憲法では、君主である天皇が持つ権限を臣民に委託する形式を取っています。行政権は内閣に、立法権は帝国議会に、司法権は裁判所に、そして軍事に関する権限は帝国軍に。内閣、議会、裁判所、そして帝国軍の間に上下関係はありません。権力の集中を防ぎ、互いに協力、監視し合って国を統治、運営する体制になっています。」
行政権、立法権、司法権をそれぞれ別の機関に付与し、それら三権の均衡によって権力の濫用を防ぎ、臣民の権利を保護する。フランスの思想家モンテスキューが唱えた、三権分立だ。帝国軍が持つ軍事力はこの3つのどれでもないが、軍が台頭し始めてから国防委員会設置法が成立するまでの間、帝国軍は4番目の権力と言ってよかったのかもしれない。
「ですが事実上、この4者の中でもっとも強い権力を持つ者がいます。田代、どれか分かりますか?」
ここで指名されるとは思っていなかったらしく、田代は「はいっ!」と焦った声を上げて起立する。
「えっと・・・帝国軍、でしょうか?他より強い帝国軍の力を弱めてバランスを取るために、国防委員会設置法を作った、とか。」
田代がそう言うと先生は「なるほど。」と頷き、僕の方を見る。
「滝川はどう思いますか?」
「はい」と起立して、僕は田代とは違う見解を述べた。
「議会、だと思います。議会の持つ立法権はゲームのルールを決められる権限です。憲法に違反しない限り、正式な手続きを経て成立した法律には誰も逆らえません。もちろん、帝国軍も。ただ、武力というわかりやすい実力を持っている軍がいちばん強そうに見えるのは確かなので、田代の気持ちも分かります。」
と、最後の部分は後ろの田代を振り返りながら言う。
「さっすが滝川!俺の気持ち、分かってくれる?愛してるぞー!」
田代は授業中でも時々こういう軽いノリで冗談を言う。ここ数日でそんな田代の性格は把握していたので僕も軽いノリで切り返す。
「人前で愛を叫ぶのはやめなさいって。」
「ええ~そんなあ~俺とおまえの仲なのに、つれない・・・しゅん・・・。」
わざとらしく大仰にがっかりしてみせる田代にクラス中が笑う。
バカな男子の扱いなど慣れているのだろう、先生も笑いをかみ殺しながら解説に戻る。
「滝川の言った通りです。軍を縛る法律も作ることが可能な議会が事実上最も強い権力を持っていると言えます。もちろん憲法に反する法は作れないので、犬養首相は議会と協力し、当時の大日本帝国憲法の範囲内で軍を縛る法律を作りました。すでに説明したとおり、憲法は内閣、議会、帝国軍の間の上下関係を規定していません。なので法律でこの3者の上下関係を規定しても憲法違反にはならないのです。」
このあたり、犬養首相が老獪だったのだろうか、それとも帝国軍が天皇の統帥権を恣意的に解釈したことに無理があったのだろうか。いや、そもそも大日本帝国憲法が良く練られて作られたのかもしれない。多少の不備はあったにせよ。
「国防委員会は、内閣総理大臣、外務大臣、衆議院議員で構成されます。なので行政府と議会を代表している機関と言っていいでしょう。その国防委員会が帝国軍の上位組織となるということは、帝国軍が政府と議会の支配下に置かれることと同義です。」
うまいやり方だと思う。当時の帝国軍は、してやられたと思ったかもしれないけれど。
「国防委員会設置法は最高法規である憲法の下位にありますが、これによって政府、議会が軍を統制する実効性を担保できたので、その存在意義は憲法に匹敵します。きみたち士官候補生にとっても今後関わりの深い法律です。だから、憲法よりも先に説明をしておこうと思いました。」
ここでいったん先生は話を区切り、教室全体を見渡してからこう続けた。
「きみたちが将来帝国軍の将官になった時、国防委員会にその行動を阻まれることがあるかもしれません。そのせいで助けられる命を助けられないなど理不尽で悔しい思いをすることもあるかもしれません。ですが決して自分たちが正しいと思い込んではいけません。自分たちが正しいと思うのなら、国防委員会、政府、議会に自分たちの信じるところを訴え、説得してください。国防委員会が縛るのはあくまで帝国軍の軍事行動であって、発言や意見が禁止されているわけではないのですから。さまざまな意見をぶつけ合って合意を形成し、より良い方向に進めていく、それが議会制民主主義です。国防委員会が帝国軍を縛るのは、過去の歴史の反省を踏まえて同じ過ちを繰り返さないためです。先人たちが苦労の末に築き上げた制度を尊重し、後世につないでいくのはぼくたちの義務です。もちろん、もし悪い点があるならば改める必要がありますが。」
歴史学の授業でもそうだったが、柴田先生の授業は単に知識を伝えるだけでなく、軍人としての心構えというか、人としてどうあるべきかということに言及する。特に、授業の終盤で。薄っぺらい知識を詰め込んでくるだけの中学校までの授業とは明らかにレベルが、次元が違う。
「国防委員会設置法で帝国軍を抑えることはできましたが、大日本帝国憲法にはまだ弱点がありました。犬養首相はその改正を試みます。それについては次回の授業でお話します。」
そこで先生は一礼する。
「月曜の歴史学に続き、今日も良いクラスでした。ありがとう。では、宿題です。教科書の国防委員会設置法に関するページを読んで、法律の趣旨をレポート用紙にまとめてください。来週のこの時間、授業の最初にレポートを回収します。今日はここまで。」
「起立、礼。」
次の授業は武術教練なので、僕たちは教科書やノートを片付けて急いで校庭に向かう。隣を歩く七瀬が言う。
「行人、よくあんなこと知ってるよなあ。国防委員会設置法なんて、歴史の授業でちょろっとやるだけだろ?」
「社会科は、得意科目なんだ。興味もあるから、図書館で本借りたりしたし。」
「へえ、そうなんだ。」
そんな会話をしていると。
「七瀬、ちょろっとでもやるはやるんだから、知るわけないじゃんは、ひどいじゃん!」
と、後ろを歩いている二ノ宮が言う。
「だって、行人の説明に追加することなんて思いつかないもん。」
しれっと言う七瀬と、それにぎゃんぎゃん噛みつく二ノ宮。
生暖かい目で2人を眺めている僕に、田代が絡んできた。
「さーて滝川、授業も終わったし、あっちに行って愛を語り合おうか~?」
「誤解を招くような発言はしないでくれるかな!」
傍から見れば、七瀬と二ノ宮、僕と田代がじゃれ合ってるようにしか見えないだろう。
志高く士官学校に入学したとは言え、男子高校生なんてこんなものなのかもしれない。
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