相変わらず、苦しんでる?

年末が来た。

昨年末の私が問いかける。
『相変わらず、苦しんでる?』と。


思えば、今までの人生はクロード・モネの絵画の様な美しい陽射しの映像と苦しい気持ちばかりが残っている。
覚えている、という方が正しいだろうか?

ティーパックにお湯を注ぎ、揺らす前に紅茶色とお湯の透明が混じること無く存在している様な表し難い苦しみが幼少期の記憶にはある。

小学生低学年の頃は、人を傷付ける言葉を意図的に放ってしまった事。
高学年では、私の人生におけるターニングポイントで始まった苦しみ。

このターニングポイントの苦しみは今も続いている。
この苦しみが苦しみとして完成し、悲しみへと変化する事もそれが何時なるかも分かっている。

主にこの苦しみは実家で強く感じるもので、居心地の良い実家が実家である事や忘れてはならないという事を帰省する度に思い出す。

幸いにも、新型コロナウイルスの影響の少ない地方同士に住んでおり、お互いに厳しい規制があるからこそ去年に続き今年も帰省する事ができた。
帰省している間は、基本的にシャワーだけの私もお湯に浸かる。
冬場は特に。

そして冒頭に戻る。

昔はもっと透明で綺麗で、無垢なお湯だった。
けれど今は、長年積み重ねてきた苦しみが身体の中から出てはお湯に溜まっていく。
そしてふやけた皮膚からもっともっと奥まで苦しみが浸透していく。

苦しい。


苦しいとばかり思う事が良くないと、誰かは言うだろう。
けれど私は苦しみと二人三脚で生きてきて、苦しみに愛を抱いている。

私の人生を語る上で、そしてこれから生きていく上で苦しみは必要不可欠だからこそ。

この間、気の知れた人に言われた病んでんの?というひと言に、
『病んでんじゃねぇよ、苦しいんだよ!私は苦しみと生きていく事を実感している時しか生を感じられないんだから!』
と、叫びそうになった。

ずっとずっと、死ぬまで敬愛なる苦しみと、人間としての孤独を抱いたままが良い。

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