楽観的思考を身につけるのが遅すぎた【これまでで1番の後悔】
#1ヶ月書くチャレンジ Day20
私は10代後半~20代前半のほとんどを、ネガティブな気持ちで過ごしていた。
これが、これまでで1番の後悔だ。
明るく元気に楽観的に過ごしていれば、身も心も艶やかに輝きを増していたはずだ。
自分で自分の首を絞めてた学生時代
「もっと頑張らなきゃ」
「こんなんじゃダメだ」
「周りはもっと凄いんだ」
こんな言葉が、当時の私の頭を渦巻いていた。
高校は県内トップ校、大学は関西の有名私大と運良く進学できた私。
それはそれで良かったこともあった。
優秀で色んな分野に突出している友人がたくさんできた。
そんな友人たちから影響を受けて、私自身の知識が増えて考え方がプラスに変わった部分もある。
でも実際は、毎日ハイレベルな勉強に部活についていくので必死だった。
帰宅後はいつも疲れきってリビングで倒れてた。そのまま一度仮眠しないと、風呂も夕食もままならかった。
「皆すごいわ。部活の後に予備校も行って」
「皆すごいわ。学校とバイトと部活・サークル両立させて。一体どうやって時間見つけてるんやろ?」
劣等感を膨らませるばかりの毎日。
自分が出来ていないのは、努力が足りないせいだと、詰め詰めのスケジュールにさらに詰めようとしていた。
今、思えば「詰める」より「削る」方を考えたら良いのにと思う。そんな選択肢は当時の私の頭にはなかった。
文字通り引きこもりの20代半ば2年間
大学卒業後、社会に上手く馴染めなかった私。
SNSのタイムラインでは、学生時代の友人たちがそれぞれの新天地で活躍する投稿が流れる。
「研修からの同期と飲み会!」
「なんかすごい充実した1日だった」
「大学の時より楽」
周りが眩しくて仕方なかった。
毎日追っかけて見ていたTwitterを、自然と見なくなった。
そもそも私には同い年の同期なんていなかった。同期と言っても、年上の院卒の方と既に社会人経験を数年積んだ方だった。
彼ら彼女らは優しく接してくれたが、私は常に気を使っていた。
「なんで私、ここに配属されたん?場違いやん」
色々疲弊して休職、退職からのニート、再就職、再びニート。
高校、大学、社会人でも常に全力疾走してないと一人前と認められない感じがずっとあった。勉強や仕事や部活で結果を出してからじゃないと、趣味や恋愛、美容に興じてはいけないとさえ思っていた節がある。
何も予定がない空白の時間。ひたすら布団の中で、気の向くまま音楽を聞いたり、ドラマや映画を見たりして、気力を充電させた。
捨てるものが何もなくなった20代後半の今
楽することは、ズルいことだったり手を抜いてクオリティーを下げることだと思っていた。やるなら全て全力で本気でやらないといけないと気が済まなかった。
「死ぬこと以外かすり傷」
「生きてるだけで丸儲け」
「出来なくても別に死ぬわけじゃないし」
ほんまにそうやんな、と素直に思えるようになったのは今の職場で働きだした、ここ2、3年の話。
やっとここで良い意味での楽観的思考が身に付いた気がする。
「まずは、やってみなはれ。考えるのはそれから」
「何とかなる、何とかする、何とかできる」
「とことん面倒くさいこと省いて、効率よく行こう」
自分の身体の声、心の声に耳を傾けるようになった。
そうすれば自然と肌や髪の艶は良くなるし、気持ちは前を向いて機嫌は良くなる。
周りにも優しくいられる。
10代後半~20代前半の貴重な時間をドブに捨てたと言っても過言ではない。その間に失ったものは数知れず。
若いうちから楽観的思考を身につけていたら、どんなに人生イージーモードだったか。
でも楽観的思考を身につけたから今こそ、何でも取り戻せそうな気がする。
「人生で今日が一番若い日」