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マイ・インターン ep.1-自己紹介-

こんにちは!
一月からThrivalでインターンをしているナナミです。

今はカナダにいることもあり、遠隔からでも参加できるブログのライターをしています。
ブログでは主に、環境や人権問題、ジェンダー問題などの「大切なのはわかるけど、結局どういう意味?という疑問に答えたりそれらの問題の深いところまで紹介しているので、お時間がある際にぜひ読んでみてください(リンクはこちら

ブログでは環境や人権問題、ジェンダーについて紹介している私ですが、最初からこれらの大きな問題に興味があった訳ではありませんでした。
私が「環境・人権・ジェンダー」などSDGs関連の問題に関心を持つようになったのは、日常の小さな違和感からでした。

それがどういうことなのか、自己紹介も兼ねてお話ししたいと思います。

最初に自己紹介からさせていただきます。
私は上智大学で、メディアについて学ぶことができる新聞学科を専攻しています。
現在は上智大学を休学し、カナダのバンクーバーにあるCapilano大学コミュケーション学科で、特に興味のある「ジェンダー学」や「先住民への差別問題」について勉強しています。

そんな私は生まれも育ちも大阪!
休日には家族と、ホルモン、お好み焼きを食べながら新喜劇を見る、という絵に描いたような大阪生活を送っていました。

そんな大阪LOVEな私が他に好きなもの、それが「文章」と「英語」です。

私は「文章」が好きです。決して上手に文章が書けるという訳ではないのですが、自分だけの解釈を許してくれる文章が大好きです
私が文章に興味を持ち始めたのは小学生の頃からでした。
元々かいけつゾロリと星新一が大好きだったのですが、もう一つの大きなきっかけ。
それが、「母に作文を褒められた」からでした。
小学3年生のとき授業で書いた作文を母がものすごく褒めてくれたんです。
しかも、その作文の内容は「将来の夢」だったり「奇想天外な発想」のような大層なものではなく、「道ですれ違ったおじさんにクソガキ!と、私だけ言われたことがどれだけ悲しかったか」という内容。
そんな作文を母があまりにも褒めてくれたので、幼かった私は調子に乗り「私は文章が書けるんだえっへん」と根拠のない自信と文章愛が身につきました。
今思い返すとこの経験から(文章力は身につきませんでしたが)「自分が感じた日常の違和感やノイズを大切にしよう」という、今でも自分の中心に据え置く価値観が生まれました。
また、自分が感じた違和感を文字に乗せるだけで他の人が褒めてくれることもある、そんな文章の可能性に惹かれていきました。

次に私は「英語」が好きです。
私はとってもミーハーなところがあります。
これもまた小学生のときに見た海外ドラマ「プリズンブレイク」と「Glee」に激ハマりした私は、「英語ってクールじゃん」とミーハー街道に足を踏み入れました。
それからは、買ってもらったGleeのCDを「先にCDプレイヤーが壊れるんじゃないか?」というぐらい何回も聴きなおしては、歌詞の意味も分からないまま歌っていました。
そんな調子でレディーガガの曲を歌っていたとき、兄から笑われたこともありましたが、ミーハーな私にはノーダメージ。
「ポポポポカフェイス♪」と自分の好きな英語の道を進んでいきました。
そうして英語を勉強していく内に、好きな有名人の言っていることがわかるようになっていき、次第に彼らが語っていた「人種差別」や「ジェンダー問題」に触れていくようになりました。
でもこのときの私は「そういう人もいるんだ」といった程度。
それ以上調べて学ぼうとはしませんでした。

ナナミさんはどうしてジェンダー問題に興味を持ったの?
インターンに参加する前、めぐみさんからこのような質問を受けました。

私は何か大きなきっかけや活動を通して、ジェンダー問題に興味を持つようになった訳ではありません。
「どうしてだろう」ともう一度自分の中で考えたとき、私はやっぱり「自分の中に積み重なる違和感やノイズを無視することができなくなった」からだと思いました。
違和感やノイズは、自分だけの固有なもので自分がどういう人間かというのを教えてくれたり他者や社会に良い影響を与えるものだと思います
しかし、違和感はそのままで放置すると、足かせのようで前に進むには邪魔になるし、何よりも「どうして?」という自分の疑問に答えられない悔しさが残ります。
そこで私が大切にしているのが、その違和感を自分の言葉で言語化し、自分の納得できる形で落とし込めているのか?ということです。
そして言語化するためには、知識を得たり、当事者の方と交流を深めたり、積極的にその渦に入っていくことが必要でした。

私は多様性やSDGsという言葉は大学で講義を受けるまで知りませんでした。
でも、昔から生活の中で「どうしてそんなこと言うんだろう」と考えることはたくさんあって、例えば、小学校の頃友達がたまに口にする「ガイジ」という言葉にずっとモヤモヤしていました。

小さかった私は(たぶん友達も)「ガイジ」という言葉が持つ差別的な意味は理解していなかったと思います。
でも、その言葉の支配的で馬鹿にするような響きを聞くと、ズーンと身体に重りがつけられたような、そんな気持ちになっていました。

私の両親が重度障害を持つ人たちへ介護の仕事をしている関係から、私は小さい頃から休日などによくボランティアなどに参加し、障がい者の方と交流していました。
幼かった私はただ単純に、日曜日に一緒に遊んだ人が月曜日学校で馬鹿にされるのがすごく嫌だったんです。

「どうして友達は”ガイジ”って言ってたのに私は言わなかったんだろう」と考えたとき、それは私が「差別の概念」を知っていたからではなく、友達より障がい者に関する知識や、彼らとの交流があったからでした

この経験は知識や交流の重要さを思い出させてくれます。

最近大学で読んだ論文にこんなフレーズがありました。

How do we explain the fact that most people’s stated philosophical and theological systems are rooted in concepts of justice, equality, and the inherent dignity of all people, yet we allow violence, exploitation, and oppression to flourish? 

これは日本語で
ほとんどの人が掲げている哲学、神学のあり方が、正義、平等、すべての人の尊厳という概念に根ざしているにもかかわらず、暴力、搾取、抑圧が行われていることを許しているという事実を、私たちはどのように説明すればよいのでしょうか
ということです。

私たちは何か知らないことだったり違和感に出会ったとき、自分たちが知っている範囲での答えを探し当てはめ、安心してしまいます。
でもそれは、「説明できている」ということではないと思います。

私はこのフレーズを見たとき、やっぱり差別やさまざまな抑圧というのを正当化できる説明をできる人はいない、と強く思いました。
ですがそれと同時に、知識がなければ、言語化もできなければ、差別や抑圧がいけないと説明することもできないとも思いました

私がブログを書くときには、このブログに書かれている情報がいつか皆さんに何か「モヤモヤ」が訪れたときそれを解決する、言語化するための武器になればいいなと考えています。

そんな私の思いから私は差別や抑圧問題を勉強し、Thrivalでインターンをしてブログを書いています。

気づけばすごく長い自己紹介になってしまいましたので、ここで終わりにしたいと思います。
最後まで読んでくださった方々はありがとうございます。
これからも、Intstagram(@sustainabledot)や先ほど紹介させていただいたブログで情報発信をしていきますのでチェックお願いします!

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