征服と搾取、それによる災い
新大陸の金を無慈悲に略奪した探検家たち
新大陸の金を無慈悲に略奪していたスペインとポルトガルの探検家たちは、その人生が不幸な最後を迎えただけでなく、国全体にも多大な災いを招くことになる。
1492年、コロンブスがアメリカ大陸に最初の一歩を踏み出した後、スペインは50年にわたる征服と搾取によって、アメリカ大陸の先住民であるインディアンたちが所有していた宝物をほとんど手に入れた。インディアンたちが持っていたすべての財物が底をついてから、新しい富を得るために苦労していたスペインは、インディアンが持っている金と銀の源である鉱山に目を向けた。彼らはメキシコとペルーで、ヨーロッパのどんな鉱山よりも多くの量の銀を貯蔵している銀鉱を見つけ出し、これによってアメリカ大陸はスペイン植民地を中心として世界第一の銀生産地となった。
スペインと同じく新世界に富を探しに出たポルトガルは、ブラジルのリオデジャネイロ北部で豊富な金を含有している鉱山を発見し、すぐにこの地域は世界の金生産の中心地となった。ブラジルの金生産量は18世紀半ばにピークに達した。これらの金を採集し、輸送するためだけに15万人の奴隷が必要だった。スペインはメキシコとペルーのインディアンたちの労働力に頼ったが、ポルトガルは鉱山で必要な労働力をアフリカの奴隷によって解決した。
1500年から1800年まで、アメリカ大陸の鉱山は、世界の金生産量の70%、銀生産量の85%を占めた。また、ヨーロッパ人が新大陸に到着した後から1800年までに約16万5千トンの銀と、約3千トンの金が搾取された。
うわべは黄金色、中は腐った黄金時代
アメリカ大陸で抽出された金と銀が大西洋や太平洋を横断しながら、ヨーロッパでは多くの変化が起きるようになるが、最も注目すべきなのは、まさにお金の流通だった。16世紀と17世紀の間に銀貨と金貨は歴史上どの時代よりも多く流通し、最終的にスペインとポルトガルを中心に経済の中心地が地中海から大西洋に変わった。しかし、このような新たな富はポルトガルとスペインの政府と市民両方に大きな災いをもたらした。それはまさにインフレであった。
新大陸で発見された莫大な金と銀によって、ヨーロッパの人々が所有している金と銀の量が増え、それにより上がった消費者心理は、結局、物の価格を上げ、深刻な物価高騰につながった。スペインの植民地支配が始まった1500年から1600年の間に発生したこのような状況は、スペインの物価を以前の4倍に増やした。スペインと同様に新大陸征服に熱を上げたポルトガルも事情は同じだった。
これに加えて、支配層であった王たちは、1年に1度、港に到着する銀輸送船を担保に無理な借金をして使ったために、結局、利息が元金を超過する状況に至った。それは無理な征服戦争のせいであった。スペインのフィリップ2世は1575年から征服に使用する資金を絶えず借り続けたが、彼は1588年無敵艦隊をイギリスに進出させ、1568年と1618年には、オランダと戦争をし、1540年代と1550年代には、ドイツで発生した反乱軍に対抗して戦い、1530年代と1570年代には、オスマントルコとの戦争に突入して膨大な資金を無駄にした。これらの戦争を起こしながら、国王の消費は、最終的に収入の3倍の水準に達した。
国王だけでなく、貴族や一般市民も手に負えない富をみんなやたらに使いまくるのに忙しかった。そうしてスペインは世界で最も借金が多い国に転落し、結局、王室の国庫が完全に破綻する状況に至ってしまった。最終的に彼らは債務を返済する能力がないと宣言してしまうが、これが世界最初のモラトリアム(moratorium)だった。
一方、このような経済的失敗とは異なり、文化的にはいわゆる「黄金の時代(Siglo de Oro)」が繰り広げられた。王や貴族たちは、窓枠や鏡、天井、飾り棚、ソファ、ベッド、クローゼットなど、ほぼすべての場所に金を使用し始め、さらにはベルトや靴、食器やタバコにまで金を塗った。また、大聖堂の祭壇や聖人たちの像にも金箔が使用された。食べ物と投資の対象を除いたすべての部分に金と銀が含まれたのである。
しかし、このように目立つすべての場所に金箔を施すとしても、それがインフレによる庶民の苦痛と国家の破産を防いでくれるわけではなかった。うわべは黄金色だが、中は腐っていっていた。御言葉でうわべは華やかだが、中は腐った実になるなとおっしゃったが、このようなスペインの歴史を教訓に、私たちもそのような人生にならないようにすべきである。