「不可能」を「可能」にした二人の女性
アメリカ人が最も愛する「永遠のファーストレディ」
大人でポリオにかかったフランクリン・ルーズベルトが政治活動を断念しようとした時、政治の同志として彼の側で絶えず励ますことで彼の政界復帰を果たせるようにしてあげた人がいますが、ほかならぬ彼の妻アナ・エレノア・ルーズベルト(Anna Eleanor Roosevelt、1884.10〜1962.11)です。人間の五段階欲求説で有名なマズローが、地球上で自己実現をしたと見なした9人のうちの1人であり、アメリカ人が最も愛する「永遠のファーストレディ」として尊敬される人物です。
彼女は、8歳で母を亡くし、9歳で弟、10歳で父を亡くして、孤児となりました。孤児になった幼い少女は、過酷な労働によって生計を維持しながら、惨めな幼少時代を送ります。「私は魅力的ではない」「私をずっと愛してくれる人は誰もいない」「私が最も頼りにしている人さえも私を失望させうる」ということを全身で悟るようになりますが、それによって自分の人生を放棄したり、気弱や恐れの奴隷になったりせず、むしろこれを克服する過程で、絶え間ない「自己変化」を重ねていくのです。そうしながら、どんな絶望が差し迫っても、悲観的な言葉を口にしなかったと言います。
このような幼年時代の苦難克服の過程を通じて、愛する子供を失った時も、それでもまだ愛すべき残りの子供たちがいることに感謝し、夫のルーズベルトが突然ポリオにかかって車椅子に乗って行き来しなければならなかった時も、「今の試練は、もっと謙遜に任された仕事を熱心にしなさいという神の御心だ」と話してあげました。妻の励ましにより、再び立ち上がったルーズベルトは、間もなくアメリカ大統領、史上初の4選大統領になって、大恐慌によって絶望に陥ったアメリカを救うことになります。
「最初の困難を乗り越えれば、次の困難も乗り越えられる」という信念によって、どんな困難の中でも、自分だけでなく、周りの人々まで勇気づけてあげながら「一緒に」行なって、絶え間ない「自己変化」を通じて次元を高め、自分を育てていくことで、「不可能」を「可能」にしたのです。
153㎝の低身長で米女子プロゴルフ(LPGA)ツアー通算8勝を挙げる
韓国のある女性ゴルファーは、韓国ツアーで11勝を挙げ、国内の舞台を平定し、1999年ついにアメリカに進出することになります。アメリカ進出の過程は平坦ではありませんでした。事業に失敗した父親と共に、住宅保証金を引き出してアメリカに渡り、ろくなスポンサー企業もなく、ただ家族が中古バンに乗って、安宿を転々としながら選手生活を送ります。
背が150cm余りで、ゴルファーとしては、実に劣悪な身体条件を備えたケースでした。背が小さく、グリーンの前方探索も不利だったし、さらに米女子プロゴルフ(LPGA)が競技場を広げ、ホール(Hole)間の距離が離れるにつれ、長打者にはさらに有利で 、低身長という身体的な制約がある選手たちには不利な状況となりました。当時、アメリカでは150cm程の身長が低い選手は、ジュニアゴルフクラブで試合するように規定していました。大人のゴルフクラブでは、背の小さい人がスイングするのが難しいし、コントロールが容易ではないからです。ところが、この選手は、大人のゴルフクラブで訓練し、実際の試合で使用しました。
背が小さいので、スイングの大きさが小さいという弱点を、長い大人のクラブの長さでカバーするために、文字通り涙ぐましい訓練をしたのです。距離を伸ばすためにわざわざ体重を8㎏も増やし、絶え間ない自己変化を持続的に追求しました。ゴルフの専門家たちは、最初はみなせせら笑っていましたが、いざこの選手が優勝すると、彼らの理論の瑕を補完し、理論を再確立するしかなくなりました。図体の大きなアメリカ選手たちの間で、153㎝の低身長でアメリカ女子プロゴルフ(LPGA)ツアー通算8勝を挙げた彼女は「スーパーピーナッツ」という愛称と共に「人間勝利」の事例として残るようになったのです。困難な状況で、家族と「一緒に」しながら、絶え間ない「自己変化」を通じて自分自身を成長させることで不可能を可能にしたのです。