東洋と西洋の観点の違い
お金についての東洋と西洋の観点の違い
けちん坊のスクルージ爺さんが登場する『クリスマス・キャロル』を書いた英国の大文豪チャールズ・ディケンズ(Charles Dickens)の作品の中に『ドンビー父子』という本がある。この本を読むと、事業で大金を稼いだドンビーが彼の一人息子であるポールに事業を譲り渡そうとするが、この息子が父親のドンビーに尋ねる。
「お父さん、お金って何ですか?」突然の質問にドンビーは「お金が何かって?ポール、今お金について知りたいのか?」「はい、お金って何ですか?」
すると、ドンビーの頭の中には、支払手段、貨幣、硬貨、紙幣、為替レートなど、数多くの言葉が思い浮かんだが、果たしてどこからどのように話せばよいものか困り果てた。「だから、まあ、お金というのは、金貨、銀貨、銅貨、こういうものが全部お金だ。お前も知っているだろう?」すると、息子のポールが「それは私も知っています。私はそれが知りたいわけではないんです。お金って一体何なんですか?お金は何をするものですか?」
では、お金とは果たして何だろうか?この質問に対する東洋と西洋の考えを比較してみよう。しばしば経済学の教科書を見ると、お金は計算の基本単位、交換の媒介物、支払手段だと説明している。お金というのは、取引を容易にするために個人が作り出した発明品であり、その価値は市場で決定されるという見解だ。
しかし、このような概念は西洋の主流経済学で言っていることに過ぎない。すなわち、お金は、個人や市場が受け入れる場合にのみ存在できるという西洋の考えを金属主義(metalism)と言う。
これに対し、東洋では、お金は国家が定めて流通を命令する対象物だと考える。古代中国や朝鮮時代では、国家や最高統治者がどんな形状や素材ででもお金を発行することができたし、他国のお金との交換価値も一方的に宣言することができた。過去、太祖・李成桂も威化島回軍後、政権を握って、貨権在上といって紙のお金である楮貨を発行しようとしたのもこのような思想が根底にあったのである。
東洋のこのような考えは、貨幣というものは国家が流通を命令する対象物だというもので、これを『貨幣国政説(state theory of money)』と呼び、金属主義に反対する言葉として『名目主義(nominalism)』とも呼ぶ。
米ドルを見ると、“This note is legal tender for all debts、public and private”と書かれている。これは、法定通貨(legal tender)であるお金は、法によってその価値と通用力が保証されるという意味である。
これがすなわち名目主義である。つまり、名目主義は国家が貨幣の流通を命令する前は、絶対貨幣が貨幣としての価値を発揮することはできず、一種の天のような王の命令によって貨幣が貨幣としての価値を発揮するという理論である。
西洋の観点と東洋の観点の対立
東洋と西洋のお金に対するこのような考え方の違いは、お金を物と見るかそうでないかの違いとも言える。西洋では「お金を経済的価値を表現する物」と見る反面、東洋では「お金は他の物の価格を表現するために、社会の構成員が定めた約束」と見る。
また、経済学者のキンドルバーガー(Kindleberger)は、このような東洋と西洋の考えの違いを「私有財か、公共財か」の問題と解釈したりもした。お金を物質と見ると、間違いなくすべてのお金には所有権があるが、お金を社会の構成員の合意によって作った社会制度として見ると、お金はすべての人の共同所有物になる。
また一方で、西洋の観点は一種の進化論的貨幣思想である一方、東洋の観点は一種の創造論だとも言うことができる。経済学者カール・メンガー(Carl Menger)は、『貨幣の起源』という本を通じて、「貨幣は取引の便宜のため、個人が考案したもの」だと主張した。つまり、貨幣は自然発生的に誕生したという一種の進化論的貨幣思想なのである。実際に『貨幣の起源』は、進化論を主張したダーウィン(Darwin)の『種の起源』を貨幣理論に適用したものである。進化論と創造論が相克するようにメンガーの貨幣思想は貨幣国政説、つまり貨幣は国家が創造したものだという理論と相克する。
世の中は創造論が正しいか、進化論が正しいかについて、宗教と科学が互いに争っている。お金についても同様である。お金とは何かという質問に対して、お金は取引の必要性によって個人が作り出した物だという西洋の観点と国家や法がその価値を保証して初めてお金が価値を持つという東洋の観点は、見方によっては対立する概念であるが、実際にお金は、このようなすべての属性を同時に持っている。
創造論と進化論について明確に説明したチョン・ミョンソク牧師のように、誰かがドンビーの幼い息子ポールが投げかけた質問、「金よ、お前は何者なのか」に対して明確に答えてくれることを期待する。