人生の分岐点は後から見えてくるもの
たなかともこさんの個人企画に参加しています。
#選択のあとに #分岐点話 のお話です。
人生での選択、その時は選択とは思っていなかったけど。
あれは2014年、私はマルタで働いていた。付かず離れずの恋人がいた。私も彼もいつも自分至上主義なのでいい距離感、と言いたいところだけど私がだいぶベタ惚れしてたので大抵のことは目を瞑った。
大学を卒業して福岡に住みだした頃、彼は東京にいて、私は金曜日新人のくせに定時で仕事を終わらせて空港に走ったこともあったし、彼がニューヨークに引越ししてからは何度か会いに行った。
私がロンドンに3ヶ月遊びに行ってた時は今行くべきアートスポットを彼がリストアップし映画とアートと音楽という共通の趣味を離れていても満喫していた。
私がマルタに引越しする時も何の感情の変化もなかった。彼には
マルタに遊びに行くから!
と定型文のようなお見送りの言葉をかけられた。
私たちは何も変化がない、そう思っていたのは私だけだった。結果的に。
2014年の年末年始、出張と休暇が重なって二週間日本に滞在することになった。久しぶりにオフラインで彼と会って食事をした。
私が次の出張先に出発する前日の夜、いつも通り食事をし、お酒を飲んだ。いつも行く文学好きのオーナーが経営するバーで最後は締めた。
この日は檀一雄の話で盛り上がり、あなたもモテるからいつ火宅の人になるかわからないよね、とみんなで笑っていた。
寒空の帰り道私たちは微かに見える福岡タワーを目印に歩いていた。
凛とした冬の夜の空気、空の色は漆黒。
彼は夏が嫌いで冬が好きだった。
マルタに戻らずにこのまま一緒にいようよ。
仕事があるから無理。
会話はここで終わって、一緒に彼の家に帰宅してコーヒーを飲んだ。いつものように。
まさか、これが人生の分岐点になるなんて思ってもいなかった。
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私の仕事は多忙を極めていた。マルタなんてビーチリゾート(実はビーチはほとんどない)で仕事なんて羨ましい!と言われたことは何度もあったが海に行く時間なんてほとんどなく、ヴァレッタの世界遺産もほとんど在職中は見ていない。起きて仕事して夕方終わると会食があって帰宅してすぐ寝る。そんな毎日だったので自ずと彼とも電話することもなく、たまにメッセージをやりとりするくらいになった。
そんなこと前にもあったし、大したことじゃないと思っていた。思っていたというより、優先順位は仕事が一番で日本での人間関係を考える余裕もなかった。
夏が来て私は仕事を辞めた。あまりに多忙で限界がきたので限界に達する前に。
久しぶりの休暇というよりニート生活、しばらくパリのマダムのところで居候すると決めた。
新しくなったピカソ美術館に行き、そこから彼にハガキを送った。その時私はまだ何も知らなかった。
共通の友達からメッセージが届いた。
聞いた?あの人、結婚するってよ。婚約したって。
他人事のように思えた。頭では理解しているけど、心が追いつかなかったんだと思う。あのときの気持ち。
ふーん。あの人、結婚とかする人だったんだ。へー。
全く他人事、絶対に傷ついているのに。失恋したら泣いたり喚いたりとかやけ酒とか想像していたけど、何もなかった。
その時はマルタの居候先に戻っていて、グジーラという街のタイ料理屋でパッタイを食べていた。その日は7月7日で晴れていて、夕方からはヴァレッタで開催されるMTVの音楽フェスに行った。いつもならバスで行く、ヴァレッタに歩いて行った。全くノレなかった。かと言って悲しくもなかった。笑ってもなかった。感情がどっかに行っちゃってた。
選択したつもりはなかったのだけど、あの日のあの会話が1の道と2の道の分岐点となって1の道を選んだ私。
何もない私。さあ、どうしよう。
音楽フェスの翌朝大きなベッドで般若心経のシーツに包まれた私は犬を抱きながら考えた。今一番したいこと、私が一番大好きなこと、そしてどうなりたいのかを。
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私は旅に出ることにした。トルコに行った。たまたまチケットを持っていたから。それから偶然(必然?)が重なり、アンマンに行き、のちにパレスチナに出会うことになりパレスチナに関わって生きていこうと決めた。
思いがけず選択をし、人生の分岐点を通過していた、しかもそれが恋愛ごとだったなんて。恋愛の優先順位がかなり低い私、それでもこんなに傷つくんだなーと思った。彼は別に傷つける気はなかったと思うので勝手に自分が傷ついただけなのだけど。その時、心に決めたことがあった。
また会った時に正面を見てられる自分でいよう。
彼に会った時に恥ずかしくない自分でいる、そう決めた。それは見た目の問題ではなく自分が自信を持って生きていること、顔を背けずにこんにちはが言えるように。
わざわざサーチしなくても彼の仕事の成果は日本で普通に生活していると見えるものが多い。
自信を持って生きていくためにしたい努力とできる努力のギャップに打ちのめされそうになるときも多々ある。私が怠け者なだけなのだけど。それでもまた頑張ろうと思えるのはこの選択があったからかもしれない。そう思って今朝もアラビア語の音読でもやりましょうかね。