ガザ人ムハンマドが難民になるまで

インドでの学生生活が終わって就職活動をしたんだ。何社か内定もらってアメリカの企業も採用が決まったんだけど、ビザが下りないというのでどこにも最終的には働けなかったんだ。パレスチナ人だからね、最初から予想はしていたけど。それでビザなしでも入国できるヨルダンに行った。ヨルダンで就職活動をしようと思ってね。

ヨルダン人とガザ人も実はあんまり仲が良くないんだよ。過去の歴史でね。パレスチナ難民も多いし。ヨルダンで考えた、これからどうしようかって。ガザには戻れないし。パレスチナ人がビザなしで行ける場所は限られている。それでウガンダ行きの飛行機チケットを買ったんだ。ウガンダだったらアライバルビザで入国出来るから。ヨルダンのアンマンからベルギーのブリュッセルを経由してウガンダに行く便をね。

ウガンダは親パレスチナ国。イスラエルのネタニヤフ首相が訪れた際、演説でイスラエルと言うべき箇所をすべてパレスチナと言ってのける(わざと!)くらいブラックジョークと言っていいのかわからない際どい発言をする国。

それで飛行機でブリュッセルまで行って乗り換えのタイミングで降機した時に入国管理にガザから来た、難民になりたい、と言った。それが最初だよ。

そこから難民キャンプに行くんだけど、どんなとこかって?

5つ星の監獄だね。雨風はしのげる、そして食べるものは豊富にある。それだけだよ。プライバシーはないし、決して清潔とは言えない。それはもう病みそうだったし実際ストレスで何キロも太ったよ。楽しみと言えば食べることしかないんだから。同じ中東から来た人間で同じ宗教であっても風習も習慣も性格も違うからね。それは地域性というよりも個々違うってことかな。

飛行機で来て難民申請する人と歩いて難民申請する人では審査にかかる時間が全然違うんだ。そしてガザって地区も特殊だから難民申請が通るまでそんなに時間はかからなかったよ。3ヶ月くらいかな。ベルギーの難民パスポートがもらえる。ベルギー(EU)からは出ることはできないけどベルギーでの身分は保護されるんだ。

難民になるとこの国で生きていくための教育が行われる。ベルギーの歴史も勉強したし、簡単な観光案内が出来るくらい街のことも知っているよ。英語は出来るけどオランダ語とかフランス語ができないから語学学校にも行ったよ。言葉ができないと就職も難しいから。母国でどんなにいい学校出ててもここじゃ関係ないから。キャンプから出られることになっても家がなかなか見つからなくて本当に困った。空き家はたくさんあるのに、アラブ人、そして難民ってことで全然話をしてくれない。そんな困っていた時に偶然に4年前にガザからここに難民としてやってきた15歳の時のクラスメイトに会ったんだ。彼の人脈でモロッコ人の大家さんを紹介してもらってやっと今住んでる部屋が見つかったってわけだよ。

久々に友達に会えて本当に嬉しいんだ。ここでは孤独だから。こっちの知り合いも紹介したいし、ちょっとゆっくりしてからアントワープを散歩しよう!案内するから!

ムハンマドは手短に難民になるまでの経緯を語ってくれた。ガザ出身と言うと他国からの申請者より容易に難民になれること(これはガザが本当にハードな場所だということを物語っている)、難民キャンプでの生活の精神的な苦しみ、受け入れを多くしている国でも差別があること。それでも生き抜いている強さを感じた。


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