ガザ人ムハンマドに会いに行く

2015年の春、ムハンマドから1通のメッセージが届いた。彼とは2013年南インドマイソールで知り合ったパレスチナ、ガザからマイソール大学で学ぶ学生だった。インドに来る前にはアルジェリアに居たりしたらしい。

今、ヨルダンのアンマンにいます。これからアンオフィシャルルートでヨーロッパを目指します。しばらく連絡取れないけど心配しないで。また連絡するから。

メッセージにはそう記載されていた。アンオフィシャルルート?ヨーロッパ?ビザはどうなるの?様々な疑問がわたしの頭によぎった。当時わたしはまさにヨーロッパにいた。ヨーロッパと言ってもマルタ共和国という島国だったけど。そこでもワーキングビザを取るのは簡単ではなかった。ただただgood luckを願うしかなすすべはなかった。

2015年冬に2通目のメッセージ。

今、ベルギーの難民キャンプにいます。きっとこのメールも監視下にあると思う。ただ、無事でいるとこだけ知らせたくて。また連絡します。

その時わたしはドイツ、フランクフルトにいた。当時中東やアフリカから徒歩や船の底に身を潜めてヨーロッパに渡り難民となる人がかなり増えた時期でしかも難民の受け入れの是非が多くの場所で議論されていた。ドイツはメルケル首相の意向で多くの難民を受け入れていたため街を歩くとたくさんの難民らしき人たちやその人たちのための炊き出し寄付を募る姿を目にした。今まで難民って遠い存在でしかも日本にいるとなおのことだったのが、親しい友達が難民その当事者になるなんて思ってもいなかった。

難民パスポートを取得した彼は家探しを始めるが、空き家であっても難民にしかもアラブ人に家なんて貸せないという大家さんが多いとのことでなかなか家が見つからず苦心している、という内容のメッセージも後日受け取っていた。多くの差別を受けながらも元気に生きているという彼を訪ねるためにパリ北駅からアントワープを目指して電車に乗る。1回の乗り換えでアントワープまで着く。ムハンマドは駅に迎えに来てくれると言っているがWiFiがつながればメッセージも送ることができるし、そんな大きな駅でもないしまあ大丈夫だろうと思いつつも、ヨーロッパのWiFiの脆弱さに一抹の不安も抱きながら。


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