パレスチナ連帯はヒューマニティの義務
そもそも停戦がゴールではない。
ガザの停戦のニュースが駆け巡った矢先、西岸地区での入植者の暴力、軍の攻撃が激しさを増した。
この蛮行を見逃すわけにはいかない、と思うのは人間だったら当たり前の感情ではないだろうか?
何度も聞かれるけど、例の10月7日はハマスの奇襲攻撃ではない。ガザの人たちは植民地、軍事占領下にある、封鎖されている状況だ。世界中は沈黙してきた。
民族自決権は権利だ。そのために植民地下になる人たちが武装蜂起することも権利なのだ。国際法で認められていること。
そして初期の報道で西側諸国(日本含む)より誤った情報が拡散された。拡散した人が謝罪と訂正を後にしたのだけどそれは広まらない。レイプなんてなかったし、赤ちゃんがオーブンで焼かれるなんてこともなかった。
現場にいた多くの人はイ軍のハンニバル作戦により犠牲となった。
詳しく、アルジャジーラが検証している。
パレスチナとイスラエル軍事占領されている国としている国、この前提を忘れて話をすることはできない。
現在、ヨーロッパでもアメリカでもフリーパレスチナを叫ぶことは危うい。とても危険な行為だ。
12月14日のイベントでもスピーチしたけど、フランスではレジスタンスを示す ツイートをした人が3年の懲役となりインティファーダとスピーチした人が8ヶ月の懲役となった。ドイツでは赤い下向きの三角形は違法である。
日本では”まだ”フリーパレスチナと叫んでも捕まることはない。そう、アジアの責任。アジアではまだその自由が微かに残っている。日本人として加害の責任を、アジア人として自由を持つ責任を果たす時なのだ。
それでも遠いこと、関係ないことと思う人はいるでしょう。考えてみてほしい、どうしてこんなに不自由な気持ちになるのか?どうしてこんなに貧困に苦しんでいるのか?どうしてこんなに格差が広がっているのか?
きっとその考え先にパレスチナの今の状況が出てくるでしょう。
行き過ぎた資本主義が受け入れ難い不平等を生み、歪んだ世界を作っている。武器を売って莫大に儲けることに幸せは微塵もない。
パレスチナ連帯はヒューマニティの義務だ。