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パレスチナとコットン

パレスチナの産業というと・・・・想像できるもの。オリーブオイル・オリーブの木から作られた色々・観光・石鹸。実はコットンも実は有名だったのだ。

インドもコットンで有名だがそれは15世紀頃にポルトガルとの貿易で主要な産業へとなったとのことで、パレスチナ地区は少なくとも10世紀には今のテルアビブジャッファ港からヨーロッパに向けてパレスチナのコットンは輸出されていた。

その昔エルサレムから地中海沿岸アッコにコットン農場は広がっていた。上質な綿製品はナブルスでも作られてそうだ。確かに、織物や刺繍が美しいのはこの頃、海外への輸出のため精力的に栽培されていたからなのかもしれない。

ラマッラから車で15分程度行ったところに新しくできたパレスチナミュージアム、ビルゼイト大学の敷地内にある。最初の企画展はLABOUR OF LOVE パレスチナ刺繍だった。

エルサレムからバスでラマッラへ、そこからビルゼイトへ。

おじさん、ここのバスターミナルからビルゼイト大学行ける?
君は学生かい?大学行きのバスはここじゃないよ。あの坂登って下って、そして右にそこからビルゼイト行きが出てるよ。行けばすぐわかるよ。
ありがとう。・・・学生じゃないけどね。

言われたバス停までは歩いて5分程度だった。たくさん学生がいたのですぐにわかった。

ビルゼイト大学まで行きたいんだけど。
そうか、じゃあこれに乗って!

そう言われた乗ったのはバスというか乗合タクシー。助手席には男子学生、そして後部座席には男子学生、わたし、女子学生という並びになった。

ねえ、学生さん?
そうよ、あなたは?
ミュージアムに行きたいの。行ったことある?
うーん、あそこかしら。ビルゼイト大学は入り口がいくつかあって、たぶんわたしが降りるところだと思うの。だから一緒に降りましょ。
ありがとう。

外はラマッラの都会とは別世界のような田舎っぽ風景があった。

あ、僕ここで。

一人の男子学生が途中下車した。

ここも学校の入り口よ。少し高台にもう一つ入り口があってそこで降りるから。

そう話をしている間に学校の正門についた。タクシーや自家用車があふれ若者たちがたくさんいた。

ありがとう。守衛さんに見たい展示がどこでやっているのか聞いてみるね。

まだ少女のような彼女は門をくぐり人の波へ消えていった。


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