わたしとスザーンの出会い
わたしは友達を友達と親友に分けるのが好きじゃない。友達と知り合いには明確な線引きがあるけれど。
「親友」・・・なんだか友達をランクづけしているようで、ただでさえ友達が少ないわたしには気が引ける。それでも、スザーンは親友と言っていいと思っている。わたしは日本人で彼女はパレスチナ人で言葉も文化も、持てる権利も全く違うが彼女と一緒にいると国籍とかそういった類のボーダーを感じない、感じさせない人なのだ。ただ、今の現状は、わたしは海外に行ける、彼女は行けない、わたしの空には爆弾はない、彼女の空には殺人ドローンがいる、わたしの部屋の外の音は鳥や車や電車の音がする、彼女の部屋の外の音はそれに加えて爆発音や銃声がある。ボーダーどころか別の星にいるようにさえ感じているのだが。
彼女との出会いは2022年とごく最近のことだ。いつの間にかとても親しくなっていたし心の中を告白し合う仲になっていた。このいつの間にかを思い出してみるとお互いに観察していた時期もあった。私たちが一緒に過ごした時間はとても短い。きっとそんな短い時間で親しいって言えるの?と思う人もいると思う。でも時間ではなかった。彼女は私のことを one of usと言うし、私も何かしらの繋がりとか「ご縁」を感じている。
2022年、ジェニン難民キャンプで開催された「フェミニストシアターフェスティバル」に行った時だった。その時にカメラを持って動いていた女性、それがスザーンだった。お互いその日のことをよく覚えている。イベント当日なのに看板はまだ交換されていなくて、トゥバーシとモタセムが梯子を使ってポスターを交換する、
「みんな仕事しろー!」
と叫ぶ、そんな様子を笑いながら、まるでコメディー映画みたい、と思って眺めていた。お互い自己紹介することもなく、おしゃべりをしていた。でもいつの間にかスザーンはいなくなっていた。今覚えば、仕事が終わると彼女は帰宅しマグリブのお祈りをして母と夕食、そしてまた自宅で仕事をしていた。
その夜・・・・イスラエル軍による軍事侵攻があった。私はシティでディレクターやプロデューサーや招聘アーティストたちと夕飯に出かけていた。それから戻る時に軍用車両と鉢合わせた。シティから私たちが戻るキャンプへ。私たちも早く戻らないと封鎖されるかもしれない。急いで戻って布団を頭からかぶって眠った。翌日は殉教者のためにイベントは中止、街全体はゼネストとなった。シアターに鍵をかけ事務所で語り合った。
車でラマッラーからジェニンに戻る時のことも忘れられない。途中には入植地がありチェックポイントもある。車の窓は開けなければならない。私たちに選択肢はない。それまで大音量で流していた音楽の音量をゼロにし、窓を全開にし姿勢を正して前を向く。ストップと言われなければ、オッケー。
通り過ぎて窓を閉め、また音楽を大音量にして歌う。踊る。(運転している人以外)
私とスザーン 、違う世界に生まれた二人の似たような境遇の幼少期の話。二人とも10歳から父と会っていない。スザーンのお父様は病気で亡くなり、私の場合は両親が離婚して色々あって会っていない。サマーキャンプの仕事を少しサボって二人でジュースを飲みながらお互いの父親の話とボーイッシュな幼少期の話をずっとしていた。二人ともショートカットの幼少期、写真を見せ合って、私たちボーイズだね、って笑っていた。
スザーンの日々のストーリーを紡いで作品にしようとしています。そのためにスザーンとのやり取りを日記にしています。皆さんから頂いたサポートは製作費にします。無理のない範囲でぜひサポートをお願いします。スザーンにも逐一報告しています!