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まずい実況と選手の名前の読みとFIS──アルペンスキーFIS W杯24/25 男子GS第1戦(ゼルデン、2024年10月27日)雑感
既にSLの初戦が終わったというのに、1か月近く遡って10月末の開幕戦のことである。昨日(17日)のスラローム初戦はライブで観られず、後でゆっくり録画で観戦するが、解説が岡田利修さん、実況が加藤暁さんとのことで心穏やかである。
実況:吉田暁央氏
それにしても、つくづく身勝手な実況だなと思う。まず、五月蝿いし(これは知ってた)、解説者やゲストの方に自分勝手な話を振っておいて、相手が唐突に投げつけられた話題に合わせようと話し始めると、今度は問答無用で突然切り上げる。何だか仕切っている感を執拗に出す。言葉数は多いが、概して中身はない。そしてレースが終わると、総括している気分で何か雰囲気のある物言いをするんだが、大仰でいまいち状況にそぐわないから、こちらの気持ちに響かない上っ面な表現に終始している。とにかく自分の話ぶりに酔っているようだ。
そんなふうに陶酔的で、色々と独断の失礼な物言いをする人だが、今回はこんな発言があった(呆れて後から録画を見返した。無駄)。滑走の様子がアクティブに見えない堅実な滑りをする選手のことを言っていると思われるが。
「地味な滑りと言うんでしょうか、私は面白くない滑りと表現してしまうんですが、わかっていただけます?」(後半早口)と言い放って解説の吉岡氏を当惑させ、続けて「それは失礼な言い方かもしれないんですけれど」(物凄い早口)などと、自覚があるようにして逃げ道を作りながら、こんなことを言う実況者のどこが良いのかわからない。しかし、この人はこんな発言を本当によくする。これも、数多ある中の1つに過ぎない。
これに対してゲストの土屋武士さんのコメントはどれも、ご専門の分野ではないというのに(河野恭介コーチとお互いの競技のことを話される機会があるにしても)、的を射た適切なもので腹に落ちる。
加藤聖五選手の滑走の際の災難に対する反応も、吉田氏は本当に何も感じていないんだなと、自分が感じないばかりでなく、直後にインタビューに応じた河野コーチの憤りや心痛に思いを致すことすらできないんだなと、見ていられない気持ちであった。この人は選手が怪我をしたかもしれない場面でも、咄嗟に重大事態になり得る可能性を認識できない無思慮な物言いをする(場違いな「あーらーらー」という間投詞の頻用も)。事態の受け止めの落差がな……。この時も土屋さんの言葉が救いであった。
それにしても、放送中に紹介されていたが、吉田氏はアルペン競技タレント発掘育成事業合宿でメディアトレーニングの講師を務めたんだそうである。その場面も一部流されていたが、ユースに指導とか……信じられん。
自分はここに初めて吉田氏の名前を挙げる際、表記を誤らないよう、同氏SNSを確認した。その時、ついでに少し目を通した書き込みの中身は、まあ、あまり爽やかなものではなかったし、インスタの方だったと思うが(今さら改めて確認もしないが)、一部の書き振りは一歩間違えればというものもあったように自分には感じられた。
個人的な印象と一応は断っておくとして、吉田氏は失礼な態度や言葉遣いの多い人であるし、言葉遣いも正確でない場面が度々見られる。昨シーズンでいうと、2本目の最終8人(1本目上位)に残った選手のことを数レースにわたって再三、「つわもの」と呼び、この表現を決め台詞のように使っていたが、これは漢字表記を単純に「強者」と考えた誤用ではなかろうか。正し漢字表記は「兵」であって、吉田氏の想定している(と思われる)意味とは厳密には一致しないように思うし、少なくとも違和感がある。
選手の名前の読みの件、また(まだ)
ここ数年、思っていることなんだが、ノルウェー選手の名前「Timon Haugan」を「シモン・ハウガン」とずーーーーっと言っていないだろうか。そう聞こえるんで、毎回、え? となる。正しくは「ティモン・ハウガン」だろう。
冒頭に「Timon Haugan」の発音(ポディウム・セレモニーMC)↓
それにしても選手の名前の読みは相変わらず酷い。
その最たるものが、ともにオーストリア代表で同姓の「Patrick Feurstein」選手と「Lukas Feurstein」選手の名前(ファミリーネーム)の読みで、これはなぜか以前から徹底して読み分けられているのだが、この違和感によく気付かずにいられるものである。さらに今回は両選手が連番で滑走する状況があった上、実況は滑走直前に両選手を親戚同士だと紹介までしながら、一方の「Patrick Feurstein」を「パトリック・フォイヤスタイン」、もう一方の「Lukas Feurstein」を「ルーカス・フォルステイン」と、それぞれ違った読みを充てて平気にしているんだ、驚く。今の今で、疑問にも思わないものかな。一体どう読みを充てているのか、その理屈を知りたい。
制作陣には、まずは現地音声を1度でも確認してみてもらいたい。そして現地の誰も(本人も周りも)口にしていない独自の発音(法則すら一定しない)で選手の名前を呼ぶのはやめにしてほしい。どこをどう読んだらそうなるんだという読み方が多すぎる。
なぜ「Haaser」を執拗に「ハッセ」と読むのか、なぜ「Maes」をいつまでも「ミーズ」と読むのか……。何か根拠があるのだろうか。
レース雑感
何をおいてもまず、加藤聖五選手の滑走での妨害に尽きる。これに対するFISの不当な対応への日本側の抗議は続いているらしいが、いずれにしろ取り返しはつかない。レース運営に関する事前計画の不備の結果を選手に押し付け、選手の機会を奪う形で終わらせるなど、あってはならないことだ。加藤選手個人や日本チームだけの問題ではなく、競技そのものの根幹に関わる話で、これが認められるなら、どう公平性を保てるというのだろうか。
オーストリアのスタッフが犯したミスの上に重ねてFISが問題のある判断を下したことによって失われたのは、単にこの1本で大きな結果を残すという最善の可能性に限らない。1本目を完走した可能性(加藤選手は記録上「DID NOT FINISH RUN 1(1本目途中棄権)」の8人のうちの1人)、2本目に残った可能性、2本目を完走し、結果を残した可能性、ひいてはコースを全力で滑り切ろうとする、あるいは滑り切ることで得られた経験といったものが全て奪われたことになる。さらに、この1レースに至るまでに費やされた時間、予算、練られた計画、ここから積み重ねられるはずだった知見、チームとして共有できた成果、あらゆるものが理不尽な形で奪われたと言っても、チームにとっては決して大袈裟ではないのではないか。
しかもコース上のオーストリアのスタッフとの交錯は、ヘタをすると、加藤選手に怪我を負わせていた可能性も大いにあるんじゃないか。加藤選手の右足のスキーが相手のスキーを跨いで避けるほどであったことを考えると、すんでのところでクラッシュを避けたに過ぎない。両者が怪我をしていてもおかしくない状況ではなかったか。相手は滑走する加藤選手から見て左から右へ移動していたのを切り返し、さらに右から左へ向かおうとしていた(つまり、加藤選手の走路上でターンし、目の前を2度横切る形になっていた)。結果として怪我を負わせることがなかったのだとしても、それ以降のレースにおいて無意識の恐怖心を抱かせるという可能性も否定できないのではないか。
これを、全く瑕疵のない加藤選手に割りを食わせる形で処理するというのはどういうことなのか。規定のルールが運営の勝手な都合や理屈で曲げられるのなら、その競技はどうやって成り立つというのだろうか。選手の結果を決めるのは選手本人の滑り(実技)だけであるはずで、コーチでもなければ、観客でも、ましてや運営なんかでは絶対にないし、そうあってはならない。どんな御託を並べようと、そんなことをするというのであれば、競技は自らの価値を貶めることになる。加藤選手に起こったことは、本末転倒としか言いようがない。
後味の悪さを別にすれば、レース自体はとても面白かった。だからこそ、残念なことだな。