ものすごくうるさくて、ものすごくうるさい実況の予感──アルペンスキーFIS W杯24/25開幕戦を前に
10月27日、散歩がてら選挙に行く。軽く昼を食べて、少し作業をする。注文していた本を受け取る。そんな感じで半日が過ぎた。
毎年驚くんだけれども、もう今夜、アルペンスキーは開幕戦を迎えて24/25シーズンが始まるんだな、楽しみだなーと番組情報を見ると、まあ、あれだ、あることなんだが、実況が吉田暁央氏だと知ってがっかりする。ゲストに土屋武士氏、解説は吉岡大輔氏で、こちらはうれしい。
昨シーズンを通して吉田氏の実況がとにかく気になり(実際は何年も前から)、楽しみであるはずのレースがいよいよ楽しめず、音声を切り替えて観るか、いや、解説は聴きたいのになーの狭間で気持ちが揺れに揺れた。観戦しながら切り替えてみたりもしたが、解説の方々は好きなので声を聴かないのは惜しいと思う。しかし、聴こうにも、話しているのは吉田氏ばかりなんだ、大抵。しかも目の前で展開している選手の滑りの実況をしているわけではない、何か喋っている。ビールを飲んで何とか気を紛らわせる、気が散る、あーあ、楽しむはずなのにこれだよ。
新シーズンの初戦を迎えるにあたって、特に昨シーズンの最終戦で大いに煩わしかったことを思いだして無駄に気分が悪くなる。吉田氏の実況には様々な問題点があって、いちいち取り上げるときりがないんだが、しかし。
フェラーが種目別タイトル獲得のインタビューを受ける直前、雪面に何か文字を書いて感情的な表情を見せる場面があった。これを受けてインタビュアーが「さっきは雪面に何を書いたのか」と訊ねたが、これにフェラーは涙を浮かべ、声を詰まらせながら答えていた。しかし、吉田氏は本人の言葉などお構いなしに、相当なプレッシャーがあったんだろうとか何とか勝手な話に持って行こうとする。フェラーの涙の意味が分からないのであれば、勝手な意味づけをすべきではない。話していたのは、亡くなった友人とちょっとだけ結果を分かち合いたかったのだと、胸に迫るものが表れた瞬間である。解説の安食真治氏が、親切に補足を入れていたのがせめてもの救いだったが、分かりもせずに適当な意味づけをしないことだ。選手を勝手に代弁すべきではない、そんな立場には誰もいない。
ワールドカップ・レーサーの滑りを「お見事」とか言ったりもする、こういう物言いもどうなのだろうか。どの立場で話しているのかと疑問に感じる物言いが多い。この人は本当に、実況中も、解説者と話しをする時も、頻りに終助詞の「よ」、「ね」、そして「よね」を使うが、友達同士の会話を聞かされているのかと思えてくる。特に「よね」なんかは、とても誘導的な表現だ。これを何度も繰り出す、というか、むしろこれがベースである。話の流れの中で相手はこれを敢えて否定しにくい、そのように持っていく話し方である。しかも、何か不正確なことを言って、さすがに間違いだとの指摘をやんわり受けた場合でも端的にそれを認めない、やはり何か言い訳がましいことを言ってお茶を濁そうとするが、こういう姿勢もどうかと思う。
滑走順のルールに関する話の時の様子は非常に見苦しかった。解説の相原博之氏に誤りを指摘されていたが、この時も負けん気なんだか、意地を張りたいんだか、自尊心なんだか、素直に引き下がらず、不文律云々で逃げようとしていたが、気が知れない。相手は目上でもあり、専門家でもあるというのに。
ついでにこれはどうでもいい話ではあるけれど、不思議でしかたがなかったのが、キッツビューエルのレースで観戦に来ていた著名人が順にカメラで抜かれていた時のことである。誰かが映し出されるたびに名前を挙げて紹介していたが、繰り返し何度も映されるケリー元国務長官のことだけは一切紹介しなかった、あれはいったい何だったのか。長身で一際目立つ上、触れない方が不自然なほど、さあどうぞとばかりに何度も画面に大写しになっていたんだが、その間、大した話をしていたわけでもなし。
この呆れる気持ちが今夜も待ち受けているのか。何か自分の饒舌ぶりや絶叫でレースを盛り上げていると思い込んでいるあの実況を聴くことになるのか。いや、聴かないことにするか。アルペンは楽しみなんだけれどな……ヒルシャー復帰かーとか。