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助言実行

ふと思い浮かんだ言葉

先日、京都の街を炎天下の中嵐山へ向けてランニングしているときに色々と考えていた。
運動すると自分と向き合う時間が増え、物事を考える余裕ができる。

果てしなく長い距離でもないし、ほぼ平坦な道だ。
そして桂川沿いということもあり、風が通る。
こんなに良い環境で走ることができるのに、辛いものなんかあるのか。

完全に夏をなめていた。
渡月橋まで走ったところで、呼吸も脚も辛くなかったのに止まることしかできなかった。
今の時代では、簡単に熱中症になりますね。

そして、公園の水道で頭から水を浴び日陰で休むことにした。
この状況だけ想像するとただの運動不足のおじさんです。

日陰は川沿いの何も太陽光を遮るものがない場所と比較するととても涼しい。
体温も頭も冷やされて考えが少しスリムになった。

実行のやり方

僕らが子供の時代は、なんとなく「不言実行」が良しとされるような風潮があった。

何も言わずにやる。
自分で考えてやる。
教えられたわけじゃないのに偉いね。
自分で考えてそこまでやるなんてすごいね。

そんな感じ。
ボクもそう言われるのが好きだったし、親にそう言ってもらえるようにできることは先行してやるようにしていた。
もちろん「早く勉強しなさい」は年中言われていたけれども。
とても少ない情報の中で、人の行為を頼りに、こういったことをすればいいのかな、と教えを請わず手探り状態で真似をしてみた。

20代、「有言実行」するビッグマウスと呼ばれる凄い人たちが出てきた。

自分は世界を獲ります。
日本代表になるんだ。
必ずや有名になる。

「不言実行」が無くなったわけではないけれど、そう言い切れる人がとてもカッコよく、そして言ったことをやり切るその姿に憧れた。
人と人がどこにいても連絡を取れるような世界で、発信することで自分にも責任が生まれそして応援してくれる人を増やすことができる。
多くの人が「有言実行」した人を支持していた。

仲間とともに

そしていま。
どんな時代なのだろう。

情報は氾濫し、世界中どこにいても誰とでもどんな情報にもアクセスできる。
少し調べればボクらの子供時代に「物知り博士」と呼ばれた人たちと同じレベルになることもできてしまう。
「不言実行」なんてどこへやら。
何も言わずに何かを実行した日には、「なぜそれについて誰にも言わずに何も調べずにやったのか」を問われる。
「有限実行」は当たり前。
まずは目標をかかげ、下調べをしていろいろなリスクを考えながらそれに向かって動いていく。
これだけでも凄いはずなのに、「そんなの当たり前だろ」と言われてしまうだろう。

ただ、人にはそれぞれ得手不得手がある。
どんなに調べてみたって、それを経験したことがある人の経験値を勝ることはできない。
どんなに上手にやってみせたって、その道のプロには敵わない。
するといまは・・・

「助言実行」なのでは。

やるかやらないかを最終的に決めるのはいつでもじぶん。
それでもその前に情報を集めることはできる。
アドバイスを聞くことはできる。
そしてそれらを踏まえて、やってみる。
そこから学べることが沢山ある。
次の段階の情報、アドバイスをもらう。
そしてまた、やってみる。
この繰り返し。

今までの世の中と違うのは、助言を集められる絶対数が圧倒的に違うということ。
これを活かさない手はない。
それと同時に、助言に対して感謝の心を持つこと。
自分の信頼している人や場所からの情報にマイナスなものはそうないはず。
それはきっとその活動を応援してくれているから。
だからその助言をくれた仲間たちと一緒に「実行」しているということを忘れちゃいけない。

ちょっと良いこと言ってるかも笑

英語の格言にこんなものがある。

Counsel must be followed, not praised.
《助言は実行すべきものであって感心すべきものではない》

応援してくれている人たちのためにも、実行しよう。


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