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楽屋で、幕の内。|取材にて Sep.15

 取材、特にインタビューはセッションである。立会いの一瞬まで、テレコの録音停止ボタンを押すまでどうなるかはわからない。上手く終わって胸を撫で下ろしもするが、想定通り進むことで物足りなさを感じたりもする。ライターの欲は底なしである。

 現場でうれしくなるのは、エーッという発見があったときで、その分原稿もハネる。最近はオンラインインタビューの依頼が多いから、得られる情報は少なくなるだろう。こんな現場の発見も減るのかと思うと寂しい。

 本来、人との関係は対話を重ねて構築するものであるが、時間が足りず叶わないことは多い。大抵、会った瞬間から相手の懐にぐいぐいと入り込む。コミュニケーション不足を補うべくライターはあらゆる技術を駆使するのだが、それでも先方に100点満点で気に入られるとは限らない。「もう帰るんですか」「早いんですね」といわれることもある。先方が口に出さないだけで思いがけず傷つけていることもあるかも知れない。

 現場でうまくいかない原因は、大まかに次の3つである。一、依頼時に主旨が伝えきれていない、二、取材側(私)の物の言い方がゾンザイである 三、相手の虫の居所が悪い この3つすべてが原因と思われる事件が、ライターになりたての頃にあった。

 泣きべそ案件と名づけているその事件は、目抜き通りに面した白っぽいオシャレな飲食店で起こった。普段通り、根ほり葉ほり話を聞いていたところ、突然、取材ノートが目の前からなくなったのである。取材対象者が上からひょいと取り上げてしまったのだ。その方はノートを高々と上げて、中を見ながらこういった。

「何書いてるの?へー、こっちこっち、取り返してみてー」  

 きっと新人の要領を得ない質問に業を煮やし、からかいたくなったのだろう。取材ノートは命ほど大事なものである。必死に取り戻そうとしたが相手は180cmほどの長身で、手を伸ばしたぐらいでは届かなかった。頭の上をひらひらと舞う取材ノートがどれほど愛おしく思えたことか。媒体を代表している訳だから泣くわけにはいかないとこらえたものの、結局、涙ぐんでしまった。声の震えも隠せなかったと思う。その様子を見てか、小学生みたいなやりとりに飽きたのか、しばらくすると返してくれた。

 まるでいじめっ子の行動ではある。でもスイッチを押したのはこちらであると、頭上のノートを追いかけながら感じていたのも事実であった。失礼があったことをお詫びしてその場は終わった。今も取材を依頼する度にあの日の未熟な自分を思い出し、気を引き締める。店はその2ヶ月後に店を閉めた。

 泣きべそはかいていないが忘れられない現場事件がもう一つある。雑誌の取材で、山奥のある温泉旅館を訪ねたときのことである。終わりがけに、それまで遠目からこちらを見ていた妙齢の女性がつかつかとやってきた。

「あなたが書いたものって残らないのよね?」

「どういうことでしょう?」

 理解いただけていないと思い、改めて媒体の説明をした。

「だから書いても結局捨てられるんでしょう。そんなに一生懸命やってるのに」

 風貌から察するにシフォンのブラウスに身を包んだその方はかつての文学少女のようだった。小説ではなく雑誌なのだから、本として残るわけではない。あなたってかわいそう、といわれたのであった。私はぽかんとした。なぜなら私はちっともかわいそうではなかった。伝えたくて仕方がないことがあって、伝えたい相手がいる。今まさに待っている読者がいるから福岡に帰って書くんです、と思った。

 が、その言葉は返せないまま胸にしまった。何かを言い切れる自信がなかったのである。そして十年以上経つのにこのことが忘れられないのは、その女性に話せる何かを今も見つけられていないことを意味する。私はこのもやもやを抱えながら、これからも書くしかない。

 その晩はカメラマンの車に乗せてもらって帰宅の途についた。車中で二人、3時間ほどいろんな話をしたと思うがそのことについて話すことはなかった。

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