遠足の思い出
先日、宮崎県高千穂町について書いた。
よく大人の女性に「九州でどこか行きたいところある?」と尋ねると、割と高い確率で出る地名である。神話の里、パワースポット、翡翠色の水面をたたえる渓谷でボートを漕いでみたいなどのご意見が多い。私は高千穂町から車で1時間ぐらいのところの出身で、こんなイメージを大人になってから聞いたときには結構へぇー、そうなの?となった。私にとって高千穂は、宮崎には珍しく雪の降るところ、車酔いしながら行くところというイメージであった。その車酔いについてちょっと書いておく。
小学3年生だったと思う。2学期の遠足の行き先はバスで行く高千穂だった。当時の高千穂までの道のりは、田舎でいうところの山越え。右にカーブしてはすぐさま左にくねるといった山道で、車酔いをする人は嘔吐は避けられない道だった。実は私も2回に1回はロングドライブで嘔吐するタイプだったので、よく覚えている。現在はというと、山にトンネルを通し、足元もすくむような高さに橋をかけたおかげで随分道がよくなった。もう車酔いする人は少ないのではないだろうか。
昔はそんな車酔いの名所だったから、当時、遠足を前にある女子生徒のお母さんからストップがかかった。「うちの子はかならず酔うので、遠足にはいかせないでおきます。他の子たちにも、先生にも迷惑をかけるから」というのであった。今の小学校ならおそらく個人の意見を尊重して「いやよね?休んでいいよ、気にしないで」といわれると思う。しかし当時の小学校の先生は熱血である。しかも30代の男の先生だ。「みんなで行きたいよなあ?遠足。お前ら、別に車酔いしても構わないよなあ!(お前たち何にもいうんじゃねぇぞ)」と文句をいわせないような勢いでいい、もし車酔いしても、からかったり、明らかに嫌がったりする態度だ彼女を傷つかせないことを母親に約束した。
そして当日。隣の席は私だった。窓際の彼女は最初は懸命に我慢していたけれど中盤になってここが最も難所というところで吐いてしまった。赤白の帽子の内側に。私は自分も同胞なのでそもそも嫌だということはない。しかしなんの道具もなかったため、横にいて声をかける以外は何もできず、先生に遠くから報告を送るだけだった。そして先生はやってきて、私にこういった。「お前、がんばったな」と。先生は吐いたことで席から逃げ出したり、騒いだりすることを想定していたのだろう。随分見くびられていたものだと思った。そして嘔吐した彼女を受け止めたのは私だけで皆はしんとしてた。遠足に誘った先生は、「良い先生だ、おかげでうちの子は遠足の思い出ができました」と保護者から大げさに褒め称えられた。なんだかなと思ったものである。
到着した高千穂の高原は、枯れた草が小麦色に輝いていて、強い風が天から吹き付けてくるようなところだった。もやもやっとした気持ちを秋の爽やかな風が飛ばしていってくれた。