『ポルトガル、夏の終わり』を観て
食事の良さは世界一、という話を聞いたかつての私は、半年後ポルトガルにいた。すぐに、料理もお菓子もワインも、出されるすべてが食いしん坊を十分に満足させることはわかった。と同時に、あくせくしていないこの国の、特別な何かに気づくことになる。ゆったりした空気に、余計に感情を引き出される感覚を覚えたのである。
『ポルトガル、夏の終わり』は、余命を覚悟した女優・フランキー(イザベル・ユペール)が、世界遺産の町・ポルトガルのシントラに家族を呼び寄せることから始まる。フランキーには思惑があった。それは相続や息子の結婚など自ら亡き後のことにいくつかの提案をすることだった。まるで足跡を残すかのように。映画はフランキーを主体に、家族の姿が交錯して描かれる。家族とは夫、前の夫、息子、義理の娘と孫、親友とその恋人である。
残された時間を理解した上で、彼らはフランキーとぶつかる。背景には霧が立ち込める森、アズレージョが美しい公園、結婚の願いが叶うと伝わる泉といった景色がある。それらは旅人である彼らの心を揺さぶる。そこで私はこの地だからこそら溢れ出るものがあるのではと推測する。もしかすると、これもフランキーの思惑であったかも、と。
フランキーが死後の未来を見ているのに対し、ほかの皆はほぼ目の前の課題だけを追っていることに気づいた時には、少しぞっとした。当たり前ではあるが、このパラレルはラストの重要なシーンで、さらに皮肉に強調される。
家族は愛おしい。けれどややこしい。しかし自分が立っていられるのは、愛すべきややこしい人たちが周りにいるお陰である。静かな交響曲のようにすすむ作品に触れながら、心のあやを炙り出された。