悲嘆・地雷系に寄せて
地雷系ファッションというものは、私にとって出会うには遅すぎる趣味であった。芸術であれば本人がどうであろうと関係ないが、ファッションは如実に本人の容姿が重要となってくる。幾人もの訳知り顔が「どんな服を着たっていいんだよ」と宣ったとしても、自分の心には響かない。だって地雷系ファッションは、存在の強さがそのまま魅力に繋がるのだから。顔の良くない人間はそもそも「憧れちゃった系」に振り分けられ、"異なるもの"として扱われる。さりとて期を逃せば環境にはいられない。地雷系はそれそのものが流動するコミュニティのようなものを形成しており、そのメインストリームにいずれ自分はいられなくなる。
1日が過ぎる事に、ゴールが遠ざかっていく。歳を経るたびにそれらを着る資格が削ぎ落とされていく。人間の生涯そのものに反するようなものに、俺は生涯を注ごうとしている。地雷系ファッションが全く似合わなくなった時に、俺は何を得るのだろう。何が残り、何を握りしめて次の天地へ向かうのだろう。
俺が俺に出来ることはなんだろうか。俺が俺の地雷系ファッションを愛するためにできること・しなければならないこととはなんだろうか。日々自問する。答えは出ない。いくら考えても答えは浮かばない。助けてくれ。いや、救難信号を嘲笑とともに見ないものとする人間が多いことは、この界隈を観測するようになってすぐに知り得た真理だろう。俺は俺の足で立たなければいけない。ていうか実家暮らしが地雷系ファッションってぬるい気もするが。自立しろ。はい。
自立と、自分が自分であるために向けて働きます。