「オーケストラ」から「ジャズ」へ。「分業」から「全体性」へ。
イントロダクション
「対話」「挑戦」「成長」の生態系をつくっています、シリーズの6回目です。
前回から、ソシャり場!の運営メンバー「世話(焼き)人」についてお伝えしています。
前回は、なぜ「世話(焼き)人」という機能を実装したのか?
そして、「世話(焼き)人」が「実験の場」をつくる「実験」をするにあたって、いかに「安心・安全」を担保するか、をお伝えしました。
今回は、「世話(焼き)人」について、「組織」という切り口からお伝えします。
迫られた「アンラーニング」
これまで、自身の運営するNPOにも何人かの大学生をインターンとして受け入れてきましたが、ソシャり場!を始めるまでは、
「やはり、大学生に権限移譲はできないかもしれない」
と考えていました。
というのも、これまで彼らの経験やスキルや希望を確認し、対応可能な大きさにタスクを切り出し渡してきた訳ですが、こちらの期待値を超えることはほとんどなかったのです。
というよりも寧ろ、
・期限までに出来ていない(わからないところが出てきて途中で止まったまま)
・伝えたアウトプットイメージに届いていない(マッチしていない)
・そもそも仕事を振られたことを忘れてている(笑)
ということが多かったのです。
最初は「大学生だから」と、彼らの素養の問題だと思っていたのですが、既述の「海外ビジネスインターンシップ」に関わるようになって、それが
僕の「マネジメントの失敗」であることに気付かされたのです。
つまり、僕は「アンラーニング」の必要に迫られていたのです。
この「マネジメントの失敗」の省察から、新たに「世話(焼き)人」というチームを立ち上げるにあたって概念化(教訓化)したのは、
「全体性を失わない」
ことでした。
具体的には、以下の2つを不文律としました。
リーダーを置かない
固有のロールを持たない
それぞれ、以下に述べていきます。
オーケストラからジャズへ
まず、1つ目の、リーダーを置かない ですが、
これには2つ意味があって、まずは僕が「世話(焼き)人」のチームに「指示」をしたり、意思決定者として振る舞うことをしない、ということ。
もう一つは、「世話(焼き)人」チームの中にも、リーダーを設けないことです。
前者は、もともと決めていました。
これまでのマネジメントの失敗の原因そのものだと感じていたからです。「僕と大学生」という構造は、どうしても
・社会人と学生
・マネージャーとメンバー
・指示と実行
という非対称で、往復書簡的なやりとりになってしまう。
なのでソシャり場!では、「実験の場」をつくる「実験」の主体者は学生の「世話(焼き)人」であり、僕はそのチャレンジを応援する立場として関わることとしました。 あくまで、
リーダーではなくファシリテーター
指示者ではなく、壁打ち役
です。
後者は、そこまで明確に決めていませんでした。
ただ、確かに「リーダーを決めて」とは伝えませんでした。
実は、以前僕の知り合いが友人の方(コンサルタント)にソシャり場!を紹介し、イベントに参加してもらったことがあったんですが、「世話(焼き)人」が参加後にフィードバックをもらおうとヒアリングさせてもらった際に「リーダーがいないと崩壊するよ」と言われたそうです。
後日、「世話(焼き)人」からその言葉をから聞いた時に僕の頭に浮かんだのは、
「いや、果たしてそうかな?」
でした。
以前の僕なら、「そうだよな」と思ったかもしれません。
いや、いまでも半分そうおもってもいますが、一方でもう半分はこの「世話(焼き)人」が、そんな自分の経験則や常識を塗り替えてくれるに違いない、という期待に満ちているのです。
この、リーダーという「頂点」もしくは「中心」を持たない組織について、つい先日「世話(焼き)人」の一人がこう言っていました。
この「世話(焼き)人」という組織って何かに似てるな、ってずっと考えていたんですよね。
で、はじめは「オーケストラ」が頭に浮かんだんです。
でも、これだとちょっとしっくりこなかったんです。
なぜなら「指揮者」がいるからです。
じゃあ、オーケストラじゃないとするとなんだろう?って考えていたら次に浮かんだのが
「ジャズ」
だったんです。
ジャズの即興的で、誰かが指揮を執る訳でもないけれど、自分たちの想像を超えるような演奏を産み出す様が「世話(焼き)人」みたいだって。
あ、僕ジャズは詳しくないんですけど(笑)
実は、この「オーケストラ」の比喩は、あのピーター・ドラッガーも使っていたんですよね。
但し、彼もその比喩が完璧ではないことを自覚していた。何故なら、ビジネスは「譜面を書きながら演奏する」から。
その後、そのドラッガーが感じていた「オーケストラ」という比喩の不完全性を、別の研究者(ジョン・カオ)が「ジャズ」という新たな比喩で埋める訳です。(「凡才の集団は孤高の天才に勝る」ダイヤモンド社 より)
この話を本人にしたら、
「僕はドラッガーと同レベルってことですね!」
と言って笑っていました(笑)。
「対話」の場をつくる組織の必然として、自ずと「全体的で対話的な組織」に「なっていった」のかもしれません。
個にして全、 全にして個
次は、2つ目の 固有のロールを持たない、ですが、実はこれは全く意識していませんでした。
現在「世話(焼き)人」は5人(今月から一人増えたんです!やった!)いますが、各タスクを分業し、それぞれが固有のロールを持って動く、のではなく(一部、そうしているものもありますが)、 「イベントごとにロールをローテション」して回しています。
具体的には、各回ごとの設計・運営担当者を決め、都度そのメンバーを旗振り役に、その他メンバーの稼働時間の変動(テストやレポート)なども加味しながら、メンバーの役割を2週間単位でシャッフルするイメージですね。
この様にロールを固定化(分業)しないことで、
あなたと私
という分断構造ではなく、
お互いを「私だったかもしれないあなた」として捉える
お互いがお互いを必要としており、相互補完的である
主語を「We」とする
といった、「全体性」を持つことにつながっているんでしょう。
尚、サブタイトルの、
個にして全、全にして個
とは、『風の谷のナウシカ』の1巻で、王蟲が自分たちを表した言葉なんですが、「世話(焼き)人」という組織の為にある言葉に思えてなりません(笑)。
まとめ
今回は、「組織」という切り口で、「世話(焼き)人」についてお伝えしました。
「世話(焼き)人」という組織(チーム)をつくるにあたって不文律としたのは、
リーダーを置かない
固有のロールを持たない
こと。
それはすなわち、
「オーケストラ」から「ジャズ」へ。
「分業」から「全体性」へ。
と述べてきました。
このnoteを書いてみて、改めてなんでこんな組織づくりをやってみたんだろう?と考えてみました。
記憶を手繰ってみると、2018年に「ティール組織」の概念に出会っていたことを思い出しました。(ティール組織、についてはまた違う機会に書いてみたいと思います)
改めて「ティール組織」を読んでみると、このnoteに書いたことって、「ティール組織」っぽいんですよね、多分(笑)
マネジメントの失敗から、アンラーニングを経て、無意識に「ティール組織」(的なもの)づくりを「実験」していたということなんでしょう。
まあ、「ティール組織」でも、いきなり「ティール」にはならない、とあるので、僕がこれまで自身のNPOで「オレンジ」や「グリーン」を持ち込もうとして失敗したことも産みの苦しみとして必要だったのでしょう(笑)
実験はつづく
(2021/02/12時点のソシャり場!の実施回数 13回)
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