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「複雑な問題を複雑なまま」向き合う、「対話」(対話が求められる背景、を考える)
イントロダクション
「対話」「挑戦」「成長」の生態系をつくっています、シリーズの9回目です。
前回から、ソシャり場!で行っている「対話」について、お伝えしています。
前回は、対話とは何か、と、なぜ対話のコミュニティを運営しているのか、を取り上げました。
今回は、対話が求められる背景をお伝えしてみたいと思います。
まず、とてもいいテキストがnoteにもあるので、そちらをご紹介。
人類進化の歴史と相関させつつ、対話の必要性を納得感ある筆致で表現されています。
一方で、アカデミックというかメタな視点で書かれているので、僕からは、直近のコロナ禍の社会情勢や現在運営している ソシャり場! や「世話(焼き)人」との対話で感じること、自分自身の過去の経験から感じることを切り口にお伝えしてみたいと思います。
1.いまや確実にわかっているのは、「確実にわかる未来などほとんど存在しない」ということぐらい *
VUCA。
最近、よく聞かれるようになった言葉ですね。
これは、まさに「これからの時代」を言い表す言葉として、近年ダボス会議などでも使われるようになった言葉です。
図らずも、このコロナ禍は
昨日と同じ明日が来るわけではない
ことを強烈に実感させてくれたと思いますし、テクノロジーの劇的な進化も相まって、我々が「当たり前」と思っていた学び方や働き方も、大きく揺さぶられました。
一方、その揺さぶりは所謂「グレートリセット」のまたとない(最後の?)機会とも感じています。
これまでの権威や多くの規制が一瞬にして瓦解し、多くの人が声を上げ、行動を起こしています。「対話」はこの動きを間違いなく加速させるでしょう。
* 佐宗邦威 『直感と論理をつなぐ思考法』から引用
2.既存の教育では歯が立たない
これは2020年から運用の始まった新しい学習指導要領を解説した文部科学省の資料です。
https://www.mext.go.jp/content/1421692_8.pdf
どちらかと言うとこれは対話の背景、というよりもエビデンス、と言ったほうが良いかも知れませんが、「対話的な学び」という方針には、これまでの
教員から生徒への一方通行
生徒間の『学び合い』の不在
から、
教員とも生徒とも「双方向」に学び合う」
という構造的な転換が待ったなしであることが伝わってきます。
この「教育」については、後のセクションでも触れます。
3.国も白旗
文部科学省に続いては、経済産業省です。
https://www.meti.go.jp/committee/summary/eic0009/pdf/020_02_00.pdf
これは2017年に経済産業省の若手が出したレポートで、
「不安な個人、立ちすくむ国家」というタイトルがついています。
当時これは「官僚が白旗を上げた」と大きく話題になりました。
そこには、
みんなの人生にあてはまり
みんなに共感してもらえる「共通の目標」を
政府が示すことは難しくなっている。
と書かれており、言い換えれば、
目標は自分で考えてね
と放り出された、いうことですよね。
でも、その 考える作法や "みんな”という言葉の裏側にある、「多様性や複雑性」は、前述の通り、これまで教育機関では学んでこなかった。
だから、一人でウンウン唸っても何も浮かんでこない。だからこそ、対話を通して自分の中に多様性や複雑性、つまり「他者のまなざし」を取り込むことが必要なんですよね。
4.対話が「不要」な時代から現在へ
これは上記の経済産業省のレポートにも書かれているような、「時代の変化」と対話の必要性を少しラフにまとめたものです。
(上記のレポートには「昭和の人生すごろく」と表現されていました)
戦後から見ても、正解があった時代、正解が見つかりづらい時代、そして今は、「もはや正解などない時代」へと変化しています。
つまり、「正解があった時代」は「対話」なんて必要とされていなかったわけですね。
特に高度成長を続けていた時期はその時代を牽引した世代はいわゆる「成功体験」を再生産=親や先生、先輩の言うこと、が結果的に常に正しかったし、従順であることが美徳とされて、出る杭は打たれてきた。
「正解がみつかりづらい時代」では、人生はいかに「勝ち組」になれるか、が喧しく言われ、お互いを高め合うよりも、いかにマウントをとるかであり、必要なのは「対話」ではなく「議論」で、「論破」できなければサバイバルできない、と(思わ)されていました。
しかし、現代の「もはや正解などない時代」では、
過去の成功体験やメソッドを捨て(アンラーニング)、
新しい経験から学び(経験学習)、
「再現」ではなく、「非連続な未来をつくりだし」て
いかなくてはなりません。
言い換えれば、
「正」→「善」へ
のシフトです。
そこに求められるのは「議論」ではなく、「対話」でしょう。
5.対話による「上書き」
最後は、これまでに身につけてしまった「学習生無気力」への「対話」の必要性です。
先程、今後の教育の変革については述べましたが、僕を含むその教育を受けていない世代にこそ「対話」が必要です。
大学生に対して、PBL(プロジェクトベースドラーニング)のファシリテーションや、1on1をしていると、自己肯定感の低さ(を意味する言葉)を耳にする機会が少なくありません。
その根底にあるのは一言でいうと、
学習性無気力
だと感じています。
一つ前のセクションでお伝えした、正解があった時代/正解が見つかりづらい時代、を生きてきた僕や彼らは
空気を読むことを美徳とされ、
出る杭は打たれ、
同調圧力にさらされて
きました。
しかし、テクノロジーの進歩とこのコロナ禍で、図らずも「オンライン」で地理的制約や、同質性のコミュニティから開放された「対話」の場が随所で同時多発的に産まれ、そこでは、
あえて空気を読まず、
出る杭を引っ張り上げ、
異質性にこそ価値を見出す
空気に満ちています。
僕が運営をサポートしている「ソシャり場!」もその一つです。
「人は変われる」
対話にはその力があるんです。
おわりに
先日、ソシャり場!の「世話(焼き)人」を対象に、今回お伝えした内容を元にした「対話について学ぶ」機会を持ちました。
「世話(焼き)人」たちは、ソシャり場!への参加を通して対話を体験はしていたものの、それを体系的に学ぶ/自分の言葉で言語化する機会を持っていなかったので、改めてその可能性に興奮を感じている様子でした。
同時に、ソーシャルメディアでよく見かける、
「一言で言うと・・・」
「はい論破!」
といったコミュニケーションや発信がいかに危ういか、そしてその誘惑を退け、「複雑な問題を複雑なまま」向き合う「対話」の必要性を自分自身を振り返りながら言葉にしていたのが印象的でした。
勿論、対話が万能の手法ではないし、"「対話の価値を認識している私達」と「それ以外」”といった自己矛盾の構造に陥ることに留意しつつ、一人でも多くの方が対話に挑もうとしてくれたら嬉しいです。
最後に、私のこれまでの挑戦を肯定してくれたと感じた一文も紹介しておきます。
対話に挑むとは組織や社会の中で「誇り高く生きること」
宇田川元一 『他者と働く 「わかりあえなさ」から始める組織論』より
一緒に、誇り高く、歩んでいきましょう。
実験はつづく
(2021/03/25時点のソシャり場!の実施回数 15回)
参考文献