言語知、身体知、直観力
「言語知 vs 身体知」と、直観力について。最近考えていることのメモ。
うまくまとまってなくて、雑多に書いてみたので、たぶん分かりにくいと思う。
■身体知とは?
体で覚えいていること、言語化しにくいこと。
経験から生まれる実感、経験による知、言葉にできないけど確証がある、みたいな。
スポーツや、音楽、絵画、陶芸、料理、ファッション、エンタメ、科学など、あらゆる分野に当てはまると思う。「文化」とかも当てはまりそう。
初心者には価値や違いが判別しにくい事、ともいえる。
どんなものが該当するかは人によって大きく異なると思うけど、たとえば自分は、以下のようなことがある。
・スノーボードの競技の違いがけっこう分かる。たとえばテクニカル競技で、80点と85点と90点の差はハッキリわかるけど、言語にすると難しいし、「スノーボードをやったことが無い人に説明できるか」というと、無理だと思う。最近、モーグル競技のターン点について、見てわかるようになってきた。これも無理やり言語化すればできるけど、けっこうシンドイ。
・むかしジャズギターをやってたおかげで、ジャズプレイヤーの違いが分かる。ジャズだけじゃなく、ポップスとかロックとかも。楽器演奏レベル(世界のトップなのか、一流プロなのか、アマチュアなのか)、音を出した意思(意図があって出した音なのか、そうでないのか)、前に出ようとするか、後ろに下がっているか、スタジオミュージシャンなのか、バンドなのか、バンドのリーダーは誰か、何年くらい楽器の練習をしてるか、本気で楽器に取り組んでるか、とかが直感的にわかる。でも言葉で説明できないし、説明しても陳腐になるのでやりたくない。でもわかる範囲は、そこそこなんだと思うけど。これは、「一般のスノーボーダーをみて、何年くらいやってるか、どのレベルか、どのジャンルかが分かる」というのと似てると思う。
・生物学の研究発表を聞いたら、近い分野であれば、どれくらいのインパクトがあるか、トップジャーナルに載る内容か、そこそこか、そうでもないか、直感的にすぐわかる。これが分からないと科学ジャーナルのエディターや査読者はできないので、界隈の科学者はみんな直感的に分かっているのだと思う。これも言語にすることは難しい。
・むかし柔道をしてたおかげで、組み手争いとか、よい組み手になったとか、変則的な組み手から技を仕掛けたとか、寝技でのポジショニングとか、よく分かる。ので、柔道をやったことがない人よりは、観戦を楽しめると思う。けど最近の柔道はすごすぎて、ぜんぜんついていけないけど。
これって、ほとんどのスポーツ競技に当てはまると思うし(野球やサッカー、フィギュアスケート、シンクロ、などなど)、料理とかもそうだと思う。塩少々ってどれくらい?何分焼けばいい?みたいなのも、料理を普段やっている人なら直感的に分かると思うけど、まったくやったことが無い人にはサッパリと思う。野球も、解説者が「今のスライダーはすごかったですね」とか言ってても、俺にはサッパリ分からん。
これって、その経験があるか、よく観戦している人とかが、経験則として蓄積したものだと思う。
これらの状態を包括的に説明できる単語をいままで知らなかったけど、「身体知」で包含して説明できるんじゃないかと思う。
ちなみに身体知について初めて言及したのは、なんと釈迦で、2400年以上前!! やっぱり釈迦すげーな!
原理仏教の境地「悟り」にたどり着くためには、言語知(頭での理解)では不可能だという結論に達して、修行によって身体知を得ることで悟りにたどり着く、という方法論を確立した。いやはや、あたらめて超絶スゴイ。すごすぎて意味わからん。
■スポーツにおける身体知と言語知
スポーツにおける「分かる」は、2段階に分かれていると思っていて、「頭で分かる、理解する」と「体感する」。この2つの順番は順不同で、自分で発見する場合には「体感する」が先に来ることが多いけど、誰かに教えてもらう場合は「頭で分かる」が先に来て、そのあとに体感することが多い。
このうち、「体感する」が分かっていないと、本当の意味で分からないのでは、と個人的には感じているんだけど、これを言い換えると、「身体知で理解することが大事」ってことかもしれない。
最近の自分のスノーボードのやり方は、滑って、感じたことをまとめ、また滑って検証する、という感じで、特にカービングやコブはこれを繰り返している感じがする。まずいろいろトライしたり失敗したりして、それによって気づいたことや感じたことを「すくい上げる、言語化する、理由や原因を問う」という感じの楽しみ方をしていることが多い。これを別の表現をすると、「身体知を言語化する」と言えるのかもしれない。
なんだか、これまでやってきたアクションがスッキリ整理された気になった。とても興味深い!
なのでスポーツでは、「身体知で理解することが大事」という一方、「言語知は、これを共通言語に落とし込んで、確証を得たり、論理的に整理したり、他人と共有したり、教えたりする際に重要」と言えるのかもしれない。インストラクターは、「身体知を言語に変換して、生徒さん(これまで経験のない、身体知のない人)にも分かるように説明する。それによって身体知を獲得してもらい、上達につなげる」とも言えるのかも。
あと「トップ選手の言っていることが理解不能」という状況ってよくあって、野球とかでもよくあるみたい。スノーボードでもアルアル。これって、「身体知を言語知に変換していない」「身体知の無い人にはそもそも理解しにくい」とも言えそうだし、「レベルが高くなると必然的にそうなることが多々ある」とも言えるかも。これは、「身体知を言語化するアクションは、そもそも難しい」という理由から来ているのかもしれない。
スポーツ競技って、数値化されると分かりやすくて(100メートルを何秒とか)、スノーボードならクロスやレースは分かりやすい。次に、ジャッジ種目全般は判定が分かりにくいけど、試合があるので、初心者にも順位で判別がつく。その次に、試合のないスポーツがいちばん分かりにくくて、登山が良い例だと思う(昔は高校の国体に山岳競技があったみたいだけど)。ピオレドール賞を取る人とそうでない人の差とか、自分にはまったく判別がつかない。初心者にはトップ選手たちの違いが分かりにくいのはどの競技も共通してるけど、その分かりにくさの程度には競技によって差がありそう。
音楽や絵画や陶芸とかも、たぶん同じようなもので、試合がないので分かりにくい。売れたかどうかは、一般受けしたかどうかで、客層の広さに依存していて、先端に尖がっている状態は評価できない気がする(特に音楽)。トップのジャズ奏者はけっして一般には有名ではないし、たぶんほとんどの人には理解できないのだと思うけど、試合がないので優劣がつかないので、経験のない人には超絶分かりにくい。これと似た状況がスポーツ全般や科学とかにも、うっすらと起こっているとだと思う。
■身体知と、直感、文化、言語、世間
身体知は、直感とも同義なのかも、と思う。
まえに、「理論物理学者は、難解な数式をやたらめったら解きまくって、その結果として得られるのは直観力」「理論物理学においては、一流の研究者とそうでない人の差は、直観力にある」という話を聞いて、メチャクチャ面白いなと思った。これも、身体知として包括的に括れるのではないか、と思う。
生物学では同じなのか分からないけど、学問全体ではなくとも、細かい部分においては、直観力や身体知が重要と言えると思う。どの研究が面白そうか、インパクトがありそうか、解明できる手段がありそうか、など。研究結果を「どのジャーナルに投稿するか」も身体知で、ラボに入ったばかりの人には理解しにくいと思う。
学習や教育では、「知識・経験・スキルを得る」ことが大事だけど、これに加えて「身体知を得る」ことも大事と、言えるのかもしれない。
これを拡張すると、文化や言語、世間なども、「その文化で住んできた経験から得られる身体知」と言えるのではないか。「これ言ったら世間に叩かれて炎上する」とか「郷に入っては郷に従う」とか「マナーや同調圧力」とかも。言葉遣いとか、言葉のトレンドとかも同じなのかも。
「日本に住んでいるだけだと日本の良さに気づかない」「海外に住むと、日本の安全性とかコンビニの便利さとかに気づく」とかは、俯瞰力や文化人類学的な側面が大きいと思ってたけど、これも一部は身体知とも言えるのかも。言語知もあるけど、身体知で説明できる部分もある、という感じか。
■身体知と科学
科学の活動って、「現象を発見して理解して、再現性を求め、それを論文で記載し、たまに実用化する」というアクションだと思うけど、「論文や書籍、つまり言語や図によって自然現象を記述できる」という意志(制約?ごう慢?)からそうなっているのだと思う。つまり科学者は、身体知や現象を言語化するスキルに長けているのかもしれない。なんでも説明しないと気が済まない、現象を説明できる可能性のある仮説をぜんぶ挙げる、とか。
逆に、言語でしか後世にものごとを伝えられないので、知識の継承が言語にゆだねられていて、身体知の継承がうまく出来ていないのかもしれないし、言語化できないものは科学の土俵に上がっていないだけなのかも。「測定できないもの、再現性のないものは科学では扱うことができない」のと似てるのかも。
■脳科学からの理解
身体知は脳科学でもずいぶん以前から言われていて、解明が進んでいるみたい。ミラーニューロンとの関連性も。でも俺は知識がなくて、どこまで理解が進んでるか、上記に書いた身体知と同じなのかとか、ぜんぜん分からない。いつか調べてみたい。
脳科学における身体知は「体を使って理解する」という意味が強い気がする。そろばんの手の動きと計算が連動する、とか。でも上述の身体知は、「経験によって蓄積された脳内データベースから導き出されるもの」みたいな気がする。これが同じものを意味しているのか分からない。
■まとめ
「身体知」は多くの状況をうまく説明でき、自分がやってきたスポーツや生物学の活動もスッキリ説明できる気がする。とても便利な単語だ!!
スポーツにおける「分かる」は「身体知」が重要で、それはあらゆる専門分野にも当てはまる。音楽も科学も同じ。これは「直観力」とほぼ同義と言えるかも。これは経験によって培われたものなので、経験が変わったり、時代が変わったりすると、途中で大きく変わる可能性もある。
■補足:人間の認知特性と直観力
「人間は物事を分類することでしか理解できない」とよく言われていて、構造主義や、言語学の「名称は範囲を示している」という考え方は、まさにそれを反映していると思う。けど、これは実は、「人間が成長する段階で得た経験則・直観力」であり、そうではない学習を積み重ねた人なら、もしかしたら違った直観力を持っているのかもしれない。つまり、現象や対象を「分類・名称・箱・範囲」で理解するのではなく、ネットワーク構造そのものをダイレクトに理解できる直観力を備えている人がいるのかもしれないし、訓練次第ではできるのかもしれない。「人間は複雑なものを複雑なまま理解できないので、区切って整理して理解する」と思ってたけど、そうではない直観力を養うこともできるのかもしれない。本当かどうか分からないけど、とても興味深い!