十年前の冬

10年前の冬がやってきた。
あの頃は、まだなんになるのかすら分かっていなかった。
その実感も無かったはずなのに、
あんなにも、空は高く薄い水色に広がっていた。
空気は冷たく、かといってやさしく、鼻から感じる香りはコンクリートの街にしては
少々甘い手筋である。
彼はまだ何物か分からない。
彼はまだ、名が無かった。
その時生まれたばかりのように、初春だぜとうそぶく12月の空気に
どこかしら和やかな下町かげんを親しんでいた。
そして、70年代のオフコースに肩を寄せていた。
フォークギター一本で奏でられる唄、乾いた風とスティール弦の鈍い光が
対になってこの世に現れたように錯覚していた

希望はなかったけど、不安はなかった。
つまらない人生なんて思いつきもしなかった、あの頃。

お互い18になった彼女に「18になったら二十歳なんてすぐだし、
二十歳を超えたら30歳なんてあっというまさ」と
冗談ごかしの思いつきで言った言葉通りになっているのが不思議だ。

1年をかけて、心の年輪を纏う。
あるときはずるく、あるときはよりきめ細やかな優しさという嘘を、
またあるときは、 心に深く残る傷跡を、
その心に残し、命の軌跡を後に残しながら。
ほら、日本庭園の、砂の模様を思い浮かべてみるといい。
お互いにお互いの間隔を置かなければお互いの存在自体、無い。
人同士も。自分の中身同士も。
相対的認識だけが自分の存在意義ならば、

哲学は、心の永久運動を求めているんだね。
永遠に止まることのない自家発電の公式を
探し続けている。

やがて彼は新年になり、白からまた緑鮮やかなものになる。
その時また彼は少し若返るような気がしているのだが、それはまあいいとしよう。

今肌で感じられるものは、まだ真っ白で何も見えない未来永劫を
絞りを開ききった瞳から見た水色の空が白く見えるほど自信に満ちている
10年前の冬が、また訪れたようなのだから。

1996,12,5 05:00

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