【ウズベキスタン/カラカルパクスタン自治区】でカラ回り
※過去のシルクロード旅をマガジンにまとめ中
ウズベキスタンの街、ヒヴァにて出会った
世界一周中の日本人二人とタクシーをチャータして「カラパルパクスタン自治区」の
古代ホラズム時代の要塞・遺跡群へ行ってきた!
今後の私の行動を変えた1日。
ここの遺跡で説明された時の一言が帰国後もずっと頭に残ったからこそ、この4年後にロシア旅を決行、そして今私はロンドンに住んでいるのでは・・と改めて思うけど、その話は一旦後にしてっ
ここに来るまで滞在していた「ヒヴァ」というドラクエの世界のような美しい街で
日本人のお姉さんに「"カラまわり"したら?」とおすすめされる。
「 空回りできる ってどういう意味?」
”カラ”とはこっちの言葉で城址のこと。
そして、その”カラ”があるのは「カラカルパクスタン共和国」という、日本人には全く馴染みのない共和国。
旧ソ連解体後に、ウズベキスタンの一部となり独立した自治区とのこと。
今回のシルクロード旅でウイグル自治区・タジク自治区と3つめの自治区だー!
っていや、独立したり自治区つくったり国境をひいてくって本当に大変なことなんだな・・・
彼らはカラカルパクスタン語をもち、
沖縄や北海道のように独自の文化を今でも持っているそうです。
そして大小あわせて今も1000以上の遺跡が
砂漠の中に点在しているインディジョーンズのような場所!!
知らないよねー!
中央アジア、未知すぎるものありすぎ!!
もう一度言うね、カラカルパクスタン自治区だよ!
カラカルパクスタンはほぼ砂漠。
ウズベキスタン政府も金をかけていない、
=全く観光地化していない場所なので、
お土産屋もトイレも店もなにもない。
どこまでも荒野。自然のまんま。
電車やバスなもの交通公共機関も民家ないので、タクシーをチャーターして遺跡までいくほかなし!
ヒヴァから2時間かけて砂漠へ向かうと、
荒野のど真ん中にどどんと現れたのが
一番有名な【アヤズカラ】 !!!
中央アジアのエアーズロックやー!
とにかくでかい。
どんな建物でどんな人が住んでいたのかと思いを馳せる。
6世紀から7世紀頃の古代ホラズム王国のものとされるアヤズカラは、川の流れが変わったせいで捨てられてしまったお城だそう。
ひとしきりカラではしゃいだあとは・・・・
■近くの川で水遊び(水着着ていったのに牛臭くて泳げなかった)
■湖遊び(水冷たすぎて泳げなかった)
前夜から水着きてスタンバイしてたのに・・・
私にとって生まれて初めての本格的な砂漠!
直射日光が強すぎ、強烈なサングラス焼けをしてしたほどなので、湖では泳げないとはいえ、足をびっくりするほど冷たい水で冷やすことが出来ただけで満足!
お次は・・・・
■2個目の遺跡 トプラクカラ。
紀元前1~後6世紀の王国の古代遺跡。
風化してグランドキャニオン状態。
そしてお腹がすいてきたところで・・・・
■ユルタ(モンゴルのゲルと同じやつ)でディナー!(事前予約済)
レストランはここ一択w
一通りご飯を食べて、まったりしていると
なぜか最後に「ビールあるよ」と言われ、条件反射で即注文。
お腹パンパンなのに、苦しい苦しいと言いながら冷たいビールで喉を潤す。
■最後は小さななんとか・カラで夕日を眺める
今回の遺跡巡りは、遺跡のみで資料館などはない。
いったいどんな暮らしをしていたのかが気になるも、『ソヴィエト時代に発掘された美術品は全て押収され、
ロシアのエルミタージュ美術館に保管・展示されている』とのこと。
ガイドの方が悲しそうに「ここにはないんだ」と
言った時の顔が忘れられない
&宝物を見るの楽しみにしてたのに、
なんでここにないんだよぉおおおお!😭
とわざわざカラカルパクスタンまできたのに
ロシアまで行かないと見れない悲しさが募る。
「美しい物は戦争の勝者のもとに集まる」
という人類の掟をまざまざと感じました。
ただここから
「ロシアのサンクトペテルブルクにあるエルミタージュは宝物の宝庫!」
=「ガイドのおじちゃんの代わりに私が見に行かなきゃ!!!!」
という気持ちになり、ここから
私の旅はさらに続いていったのであります。
ということで、結構記事が溜まってきたぞ。
上海からスタートした一人旅日記は下記よりどうぞ! おすすめはウイグル編!!
そして次の話は、夜行列車での出来事~