大学再受験(再入学)の意義を考えてみた!

 たまに大幅に年齢を過ぎてから有名大学を再受験する人がいる。「九浪はまい」さんなんかは良い例だ。30を過ぎて東大に入学した人も知っている。日本社会でこのような人はかなり酷評されることが多い。少なくとも就職市場では門前払いだろう。その理由を考えてみると、日本社会において大学は人生のコースではないという要因が考えられる。良い大学を出たとしても、良い会社に入らなければなんの意味もないのだ。いい年して大学を受け直すことは、ある意味で高校浪人に近い意味合いを持つ。20歳を過ぎて有名高校を受け直してもなんの意味もないだろう。高校受験の劣等感を解消できず、過去に囚われている人という扱いになってしまう。
 それでは叩かれない場合は何かというと、例えば何らかの事情で大学を中退した人が大学の学士を取る場合や、大学でしか取れない資格を取るために再受験するパターンが挙げられる。前者は人生のコースに乗る上で重要だし、後者は大学自体が人生のコースになる。医学部なんかは良い例だ。医学部の場合は大学自体がコースになっているため、大学に入ることそれ自体に大きな意味があるのである。
 年齢が行ってから東大理一や慶応法学部などに合格しても、キャリア的にに意味はない。それではどうすべきかと言うと、直接企業にチャレンジすれば良い。あくまで最終選別は会社なのだから、再受験などしていないで、転職の方法を考えるべきである。司法試験や公認会計士は試験の合格自体がレールに乗ることになるので、こちらも最終選別となりうる。30歳で東大に再入学する人はタダの変人という扱いになるが、30歳で総合商社に入った人は特に何も言われないはずである。

イブリースさんブログ

またイブリースさんの記事が面白い。日本社会は「新卒の企業」が最終的な価値であり、大学や学歴は無意味であるとの主張だ。

私は、半分は同意で、半分は違うと考えている。最近は、「メンバーシップ型雇用」よりも「ジョブ型雇用」が優位となり、新卒で変な会社に入っても、スキルさえ磨けば日立製作所やアクセンチュアであれば入社できる。さすがに、戦略コンサルや外資系投資銀行は厳しいと思うが。

もし、大学などを再受験するにしても、それは「自己満足」になるだろう。ただ、学問的な興味や関心のために大学に入りなおすのであれば、それは非常に価値のあることだと考えている。そうであるならば、2年間の教養学部のある東大よりも、専門性の高い学部やニッチな学部のほうが価値が高そうである。例えば、東京農業大学の農学部、東京海洋大学、獣医学部などである。純粋に教養を身につけたいのであれば、東大である必要はなく、慶應の通信教育課程で十分だろう。

私はやりたいことが多すぎて困っているが、例えば定年退職後に陸上養殖をやりたい。その場合、東京海洋大学で水産学や海洋生物について学ぶのは役に立つだろう。ただ、問題は寿命だ。短命の場合はやりたいことがあっても、やる前に寿命がくるだろう。寿命(健康寿命)が、長く活躍する上で非常に重要なファクターになりつつある。おそらく、政府はケチなので年金も減らしてくるだろう。もちろん、十分に資産形成しておけば働く必要はないが、「チャレンジじたいが楽しい人」は、長く活躍したいであろう。くれぐれも、酒・タバコ・異性交遊に溺れないことだ(それぞれ、肝臓がん・肺がん・性病で死ぬリスクがある)。頭脳の健康を保つことも重要だ。その意味での、大学での勉強は有意義かもしれない。ただ、学費が高いなあ。。。

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