-小説について-
全然、眠くならないので、わたしが小説を書くようになったいきさつについて、少し日記を書いてみます。
まず、わたしが小説を書こうと思い立った、そのきっかけの本が2冊あります。
1冊は、ドストエフスキーの「地下室の手記」。
もう1冊は、サリンジャーの「フラニーとゾーイー」。
どちらも、読んでいて、もはや「笑い」だな、と感じました。
ドストエフスキーは、あまりに真剣な妄想などの諸々が、もはやギャグに思えてしまった。
サリンジャーは、レストランでのやり取りにて、あまりにも細やかな心のなかの悪態を拾いすぎて、やはりギャグに思えてしまった。
そして、そういう、もはやギャグにしか思えない真剣さや繊細さ、真面目さや妄想などの諸々を拾うことにおいて、わたしほどの適材は居ないのでは、と思ってしまったのである。
なので、若い頃にドストエフスキーを読んで、それから30代に入り、サリンジャーを読んだとき、小説を、特に心の内をむさぼるような生粋の純文学を書くことに決めて、書き始めました。
そして、その頃に、本格的に小説を書こう、と始めたとき、背中を押してくれたのが、2012年に60代や70代の方が新人賞を受賞したこと。
その年から、本格的に書き始めた。
それまでは、20代の後半の頃は、特に、これから何かを始めても遅いのではないか、実はそう思っていた。
なので、それまで続けてきた弾き語りやDTMくらいしか、できなかった。
だけど、60代や70代の方が受賞した、というニュースを見て、わたしもまだまだやれる、と勝手に思い込んでしまったのである。
浅はかな思い込み、かもしれないけど。
でも、それから、もう7年の時が経つ。
今では、あたかも始めから小説を書いていたかのように、わたしは小説を書く人である、という認識をしてもらえるようになってきた。
もう一度、話しておきます。
7年前には、トーマスさんイコール小説を書く人、ではありませんでした。
もちろん、古い友人のほかには、作家さんの知り合いも、まったく居ませんでした。
そのくらい、きちんと頑張っていれば、周りの人の認識は変わってくるし、出逢う人も変わってくるのだと思います。
そして、もちろん、これからも周りの人の認識を、がんがん塗り替えていこうと思っています。
でも、ここまで本気で書いてるトーマスさんなら、きっと芥川賞も夢じゃないよ、これから、そういう認識にしてやろう、と勝手に思っています。
それでは、これからのトーマスおじさんの活躍を、是非とも陰ながらご期待ください。
みんな、トーマスさんのことは、陰ながらこっそり応援するのが大好きなことは知ってるので、表に出てきてね、などと野暮なことは申しません。
こっそり応援してくれたら、またこちらもこっそり受け止めて参ります。
それでは、また小さな秋の日に。